小泉館

概説 一般に方形館は平安・鎌倉期に流行したといわれているが、実際には近世まで作られている。小泉館の成立年代は不明であるが『等覚寺善照寺両寺俗姓系図』に、明応5(1496)年に、小泉館の南東3km余にある小田城の城主小田治孝が、弟顕家(北条五郎)に「小泉邸」において殺害されたことがみえることなどから、遅くとも室町中期には小田氏の庶流の居館として成立していたことが考えられる。ただし馬出や二重堀など現存する遺構が当時のものとは即断できないし、戦国期に小田城を廻る攻防戦の際などにも陣城として利用されたことなども考えられる。[『筑波町史』より]
馬出は完全に湮滅していた(正面は城山城、向こうは筑波山)
訪問記[2002/12/31]『筑波町史』を見ると馬出の形が水田の区画として残っている図があるのでおおいに期待して行ったのだが、耕地整理や道路拡幅によって完全に湮滅していた。
所在地つくば市小泉
参考書『筑波町史』