豊田氏居館

概説 豊田氏の始祖四郎政基(政幹)は、後三年役(1087)の行賞によって下総豊田地方を安堵された。当初の居城は、石下町若宮戸及び向石下にあったと伝える。のち台豊田を経て東豊田の地に豊田城を築いたのは第11代善基と説かれ、時代は鎌倉の建長以前と推定されている。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
 また、『村史千代川村生活史 第一巻自然と環境』p278地図には中規模城館として記されている。
玉小学校東側の小川
訪問記[2003/01/07]『村史千代川村生活史 第一巻自然と環境』の地図では正確な位置は分からないが、玉小学校周辺と考えてよいと思う。玉小学校東側の小川は水堀として機能したのかもしれない。
所在地結城郡石下町若宮戸。玉小学校周辺。
参考書『村史千代川村生活史 第一巻自然と環境』、『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』