遠山城

概説 谷津を挟んで牛久城の東側にあるこの舌状台地先端は牛久城よりも古い時代の城跡と考えられる。ここ遠山へ至る東側からの道に沿って桜塚土塁向台土塁遠山土塁と極めて密な間隔で街道防御の土塁が築かれていることからもこの地が戦略上重要視されていたことが推測される。現在遠山の集落の中央を東西に横切っている道はかつては堀切だったと思われる
かつては堀切だったと思われる道
訪問記[2002/2/11]遠山土塁から南側は遠山の集落だという意志を強固に感じさせる雰囲気が漂っている。これ以上の表現はできないがこういう雰囲気が重要なのだろう。現代ではなく四五百年前の中世に於ける土塁なり城壁の存在感は現代の私たちの感覚を越えた威圧感があったことと想像できる。集落東側の崖中腹には50mほどに渡って腰郭のような犬走りのような部分がある。そして遠山集落を横切るように堀切があり、その南側の台地先端部の畑地から牛久城そして牛久沼が手に取るように美しく臨まれる。ということは牛久城にとっても重要な地であっただろうということは容易に感じられた。
所在地牛久市遠山町。
参考書牛久市ホームページ歴史市史だより『長尾憲景と遠山郷・足高郷』