高井城

概説 別名、下高井城とも。
 高井城は、平将門の裔である相馬小次郎重国が永禄以前この地に来て築城したと伝えられる。子孫は世襲し直将に至って高井氏を名乗り、高井十郎と称した。永禄4(1561)年小文間城主一色宮内が大鹿城を攻略したとき、大鹿氏を助け、小文間雁金山で一色氏と戦い、これを攻め滅ぼした。直将には子どもがなかったので、弟の胤永があとを継いだ。天正18(1590)年小田原の役で北条氏と共に戦って滅びた。胤永の長男は大久保氏(小田原)の客分となり、その弟胤正は家老横瀬家の養子となり、後に広瀬と改め下高井に土着した。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
西側からの眺め
    その他の写真
  1. 水堀跡
  2. 枡形状遺構
  3. 虎口の土塁
訪問記[2002/10/6]主郭部周囲は公園として整備されている。無理な改変をしていないところには好感が持てる。竹藪の中の主郭部南虎口脇の隅櫓台はなかなかよい。「馬場」といわれる外郭部を歩いたが住宅が建て込んで遺構はあまりない。それでも垣根の向こうに櫓台跡の塚が見えたりする。
所在地取手市下高井。高井城趾公園になっている。妙見八幡神社付近は外郭。
参考書『取手市史』、『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』