東条亀谷城

概説別名、釜井城、釜井城砦。
南北朝の合戦に登場する亀谷城の所在地については(1)釜井説(2)羽賀説(3)新利根説など諸説ある[「羽賀亀谷城のページをご覧ください」]。

釜井の立切池のこと:
 『昔、釜井に立切池というのがあった』と古老は語り始めた。『この池の中心部にはものすごく水が噴き出す井戸があった。そこは子供たちの遊び場だった。かなり広い池でリアス式のように丘陵が入り込んでいた。夏の暑い日にもそこへ泳いでいくと15度くらいで心臓が止まりそうになった。火山の噴火口や水の噴き出し口を釜という。これが釜井の語源。そんなことはどうでもいいが、その一帯が中世城郭になっていた。』
 『立切池は昔の御料鴨場。鉄砲なんかじゃなく網で掴んだんだ。池の傍らに丘陵がある。鴨は霞ヶ浦の方角から丘陵すれすれに飛んでくる。丘陵の陰に隠れていて飛んできた時にパッと手網で捕った。そういうことやれたんだからたいしたもんですよ。ここは埋めちゃって工業団地になっちゃってなぁ。筑波の名前入ってるが、なんで筑波の名前入れんのかなと思ってよ。こっちの方、筑波と関係あんめいよ。そういう所に立切池というのがあったんだ。』
 『この池に大きなウナギがいて、捕まえて焼いて食おうとしたが焼いても焼いても焼けない。これはきっと立切池の主だろうということで、焼いた胴体を池へ戻さないとどんな罰が当たるか分からない。切った胴体を水へ戻したらばちゃんと泳いでいったと。東町の民俗資料館にそのウナギのレプリカがありますよ。』
北側から工業団地になった釜井の台地を望む
その他の写真
  1. 工業団地北側の永楽寺脇の怪しげな小山。狼火台か?
訪問記[2002/05/26]釜井城や立切池を忍ぶものは無さそう。[後日、この工業団地の調整池は立切池を利用したものだと教えてもらった。(2004/09/12)]
所在地稲敷郡東町釜井。筑波東部工業団地付近
参考書『阿波崎城・平台郭跡』