棚倉城

概説 元和8年(1622)、丹羽長重が古渡城から赤館へ入封、寛永2年(1625)から棚倉城の築城を開始したが、その後も内藤氏、太田氏、松平氏、小笠原氏、井上氏、松平氏、阿部氏と城主はめまぐるしく変わった。戊辰戦争の時に新政府軍の攻撃を受けて自焼している。近隣の長久寺には南門が移築されているという。
 棚倉藩も幕末に海防をやらされている。大津(茨城県北茨城市)に仁井田陣屋を置き、その以北、平潟までの海岸線に2乃至3の台場を設置したようだ(→茨城県内の幕末海防施設)。
本丸の大手桝形へ架かる橋から
その他の写真
  1. 本丸土塁上馬踏はワイド
訪問記[2006/10/15]大手門から入り、本丸と土塁上をざっと回ってきただけ。本丸内部は神田城くらいの大きさだろうか。近世城としては規模としてはこぢんまりしている印象を持った。
所在地福島県棚倉町棚倉。JR水郡線磐城棚倉駅の南側600m付近。城址公園として整備されている。
参考書『【決定版】図説・江戸三百藩「城と陣屋」総覧 東国編』