志波城

概説城柵とは、奈良時代から平安時代にかけて、朝廷の二大政策(東北経営と平安京造営)の一つとして、蝦夷(えみし)とよばれた東北地方の住民を統治するために設置された行政府(役所)です。志波城は、律令政府の陸奥国最北端の城柵として延暦22(803)年に築かれ、和我(わび)・稗縫(ひえぬい)・斯波(しわ)の三郡を統治していました。そして、設置後10年で、雫石川の氾濫を理由に、その役割を徳丹城(矢巾町)に移しました。[現地説明板より]
外郭南門
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  3. 築地塀が延々と続く
訪問記[2001/8/25]建造物として復元されているのは南側の外郭築地塀だけだが、その一辺は840m。東北自動車道などで湮滅した部分もあるので全部は復元されていないがそれでもなかなか壮観。また、築地塀を版築で作る体験コーナーがあったが、なかなか面白いと思った。
所在地岩手県盛岡市
参考書