伊佐津城

概説 別名、二条城、竹内(たけのうち)城。土塁、櫓台、腰郭、竪堀などが残る。
 明応年間(1500年頃)より40年以上にわたり小田氏によって江戸崎城を奪われていた土岐原氏は、治頼の代になり龍ヶ崎あたりを足掛かりに失地奪還を開始する。そして、天文11(1542)年、伊佐津竹内城を攻めて金剛寺光寿を逐った。金剛寺氏は翌年正月に没したとされる。間もなく江戸崎城も回復したことであろう。[『新利根村史(二)』および『阿見町史』より抜粋]
愛宕神社を背にした眺め
    その他の写真
  1. 土塁に囲まれた腰郭
  2. 櫓台
  3. 集落内の廃寺周囲の土塁
訪問記[2002/10/06]新利根町役場北側から堀川へ抜ける国道408号線バイパス道路によって南北に分断されている。北側の台地上には集落が立て込んでいて城の遺構らしきものはない。廃寺周囲の土塁も城の遺構かは判らない。
[2002/12/15]国道408号線バイパスの南側主郭部分は畑地として使われている。愛宕神社の北にある丘が舌状台地尖端の主客部。左手(西側)から作道を上れる。途中腰郭を横断する。ここから腰郭に沿って少し進むと竪堀らしきものがある。台地上の畑の周囲には低くはなっているが土塁の残存がある。特に南西角の部分は明らかに高くなっているので角櫓だったのかもしれない。ここには果樹園もあるのでまさに「梨下で冠を正さず」。在らぬ疑いを招かないように冬季に散策することをお勧めします。
所在地稲敷郡新利根町伊佐津字下台。
参考書『茨城県遺跡地図』、『新利根村史(二)』、『阿見町史』