椎尾堀の内(しいのおほりのうち)

概説 椎尾城とも。真壁氏の配下としてこの地を支配した人物は一族の椎尾氏であろうと考えられます。一部残る遺構は、戦国盛期の中規模塁壁であり、「ウチデ」の名からこの「椎尾堀の内」は、農業経営の拠点としての「堀の内」が置かれた時代があり、その後戦国中期にいずれかの軍事集団によって一定期間、軍事拠点として利用された場所だったと推測できます。[『真壁町の城館』より]
西側から
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  1. この薬研堀は急斜面だった
訪問記[2002/10/28]廃線となった関東鉄道筑波線跡地は現在リンリンロードというサイクリングロードになっている。そのリンリンロード脇で農作業されていた方にその藪へ入れば堀が残っているよと教えてもらい中へ入ってみた。竹藪はかなり密だ。その奥に厳しい角度の薬研堀があった。
所在地真壁郡真壁町北椎尾字堀ノ内
参考書『真壁町の城館』、『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』