吉原新堀南土塁

概説 この南・北二本の土塁の間隔は約600mで、その全長は、北土塁約500m・南土塁約400mである。南北双方の土塁は戦国末期に土岐氏の構築と考えられ、土塁群中、最終段階のものであろう。この二つの土塁は、直接江戸崎関係でなく、支城の久野(牛久市)・福田・下小池・三城の防御線と考えられる。以上の三城はこの堀土塁のため島状を呈し、ここを突破されない限り安全圏である。[『阿見町史』より]
土塁西端から東方向を望む(県道土浦江戸崎線沿い)
その他の写真
  1. 西端の堀尻が谷津へ落ち込むところ(六部塚と呼ばれる)
  2. 西端の堀尻を谷津側から見たところ
  3. 東端西側の断面(県道龍ヶ崎阿見線沿い)
訪問記[1998/03/06]写真1.および2.は土塁の西端の堀尻が谷津田へ落ち込むところ。街道閉塞用土塁が谷津と谷津を結んで築かれている様子がわかる。しかしこれが土塁の一部とは気付く人は少ないでしょうね。
所在地稲敷郡阿見町吉原字根崎。西端の目印はFamilymartの脇。
参考書『阿見町史』、『阿見町史研究第6号』