石神井城

概説 豊島氏が石神井川の水源としての三宝寺池の水利権を確保する目的で築城した。豊島氏は頼朝以来の御家人で、入間川と石神井川の合流点の平塚城が本拠で、次第に石神井川流域に勢力を拡げた。
 豊島泰経のとき文明9(1477)年、太田道灌によって落とされ、以後廃城となる。
三宝寺池畔の城址碑
    その他の写真
  1. 主郭の南西側にある横矢の土塁と空堀
  2. 三宝寺境内の大師堂裏にある土塁の断面
訪問記[2001/05/13]周辺に駐車場がないのには困った。主郭部は土塁保護養生のためにフェンスで囲まれて入る事はできない。ただし、石神井公園管理所で聞いたところ事前に連絡をすれば入城も可能だとのことです。
所在地東京都練馬区石神井台1丁目
参考書『図説中世城郭事典第一巻』