佐倉城ノ内

概説 周辺には、城ノ内、西之内、荷下(ニクダシ)、井戸ノ内、馬場先、横築地などの字名が残っていることから、佐倉城の中心的場所と考えられる。
松姫大明神の祠と土塁
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  1. もちろん、佐倉神社周辺の土塁は城ノ内遺跡の遺構
  2. 弁天池は水堀だったかもしれない
訪問記[2003/01/26]弁天池を見に行く。
[2003/02/03]佐倉神社から東へ向かう道沿いに土塁が切れ切れに残存する。松姫大明神の祠はその道の東の突き当たり交差点のど真ん中にある。祠の南側角の土塁はかなりよく残っている。そこから60mほど南へ行った右手の崖下に2基の野仏が立っているが、その左側は道標としても使われていたらしく、「右阿波かしま 西キハラ土浦 左さく道」と書かれている。「西キハラ土浦」というのは良いとして、「右阿波かしま」というのが方角的に面白い。実際の阿波は南東方向になるが、当時は船で往来していたと考えれば右手、つまり北側霞ヶ浦方向ということでこれで良いわけだ。さらに、推察するに、ここから北へ進むと「荷下(ニクダシ)」という地名の残る場所へ出ることになる(「佐倉殿屋敷」もご参照下さい)。ここには霞ヶ浦水上交通の舟着場のようなものがあったのかもしれない。
所在地江戸崎町佐倉字城ノ内1665-1外。佐倉神社を中心に半径300mほどの地域。とくに、佐倉神社の東側へ向かって土塁が残る。
参考書