龍ヶ崎陣屋

概説 天正の末土岐氏が滅んだあと、江戸時代に竜ヶ崎は伊達氏の仙台藩の飛地となり、その陣屋は古城下の竜ヶ崎小学校前にあった。明治維新のころ火災にあい、陣屋の建物はすべて失われ、陣屋跡の地名だけが残った。[『新版茨城県の歴史散歩』(山川出版社)より]
 明治4年、米津政敏が設置した藩庁である。米津氏は明治以前、出羽国長瀞で1万1千石を領していた。明治元年に庄内藩兵と新政府軍との衝突により、陣屋と城下町が消失。混乱のうちに版籍奉還を迎えた。中世の龍ヶ崎城北側、現在の龍ヶ崎小学校の地に藩庁を置いたとされるが、遺構はみられない。[『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』より]
龍ヶ崎小学校(右手)の南側、龍ヶ崎城(左手奥)との間の道
訪問記[2002/09/09]陣屋は龍ヶ崎小学校正門付近にあったようだ。
所在地茨城県龍ヶ崎市田町。市立龍ヶ崎小学校正門付近。
参考書『新版茨城県の歴史散歩』、『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』