小坂城関連施設   関連ページ:小坂城

概説 牛久のポータルサイトといえるUshiQnetホームページの『牛久市史の研究第59号小坂城の出丸遺構』では「堀と土塁と見られる遺構があり、対岸下流の泉城の見張りの役割をもっていたのではないかと思われる。この遺構は、岡見氏の子孫と云われている屋敷の裏手の山にあり、近くには、"堀の内"という小字名もあることから、城の一角と考えることが出来る。」と解説している。また、慈眼院にある岡見氏の墓石については『第58号小坂岡見氏の墓所』で「岡見家の墓に彫られている家紋は、小田氏の洲浜(すはま)になっている。岡見氏の家紋は、途中から六字洲浜に変えたとされているので、小坂の岡見家は小田家本紋を使っていることになる。足高岡見氏の子孫に伝わる系図には、岡見治資(弾正忠)が牛久城を築く前に小坂城に居たようである事が記されている。岡見治資は、小田治孝の子とされており、手這坂の合戦で討死した事で知られている。小坂岡見氏は、岡見城の岡見氏とは別系統の牛久岡見氏の系統なのであろうか。」と興味ある考察を加えている。[UshiQnetホームページの『牛久市史の研究』を参考にさせていただきました]
堀の内の地名そのままの堀が残る
小坂城周辺図
その他の写真
  1. 慈眼院裏山には浅い溝状遺構がある
訪問記[2004/06/07]UshiQnetの山田さんに情報をもらってさっそく行ってみた。堀の内の地名どおり、幅3mほど深さ1mほどの堀が道に並行するようにある。一方、慈眼院十一面観音堂裏手へ登ってみたらその向こう側はものすごく深い谷津で直前に降った豪雨によって沼地と化していた。山田さんによるとここには「城跡かどうか分らないが、堀跡?らしき溝が廻っていました」とのことだが今日は未確認です。
[2004/06/13]慈眼院の裏の溝状遺構を見てきた。非常に浅い溝のため堀跡かどうかは判断できない。それよりも慈眼院の150mほど北側にある熊野神社南側の土塁がなんだかあやしげ。熊野神社参道に沿って東西に伸びるのだが、慈眼院方向から上がってくる道に対して横矢のような折れがある(上の地図に土塁状遺構と印した)。
所在地茨城県牛久市小坂町。国道408号線沿いで小坂城の南東約480m。国道408号線上小坂バス停から200mほど西へ(MobilGSから西へ30mほど)行ったところを北側へ入り、50mほど進んだ辺りで右手斜面にある古い階段を登ったところの右手に堀はある。慈眼院は上小坂バス停付近から北へ入っていくとすぐ突き当たり。
参考書使用した地形図は国土地理院の『地図閲覧サービス(試験公開)』から一部を利用させていただきました。