概説 | 『新羅之記録』によれば、今泉刑部少季友が館主で、長禄のコシャマインの戦いの時落城する。 『図説中世城郭事典第1巻』P25に、「覃部館(及部川の河口付近で、遺構は確認されていないが、大体想定の台地でよいだろう)」とあるのは、八巻孝夫氏『北海道の館』の「及べ川河口近くの右岸が館の推定地とされる」と同じ場所を指しているものと思う。しかし、松前町教育委員会で聞いた話では、右岸でなく左岸の松前小学校下の台地が推定地だということだった。 |
覃部館推定地(八巻孝夫氏)![]() |
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訪問記 | [2001/7/23]松前町教育委員会で聞いた推定地を見に行った。松前小学校の下は雑草と木々が生い茂り近付くことはできそうもなかった。 [2002/6/24]八巻氏の『北海道の館』にある推定地を見に行った。対岸から眺めてみたところ台地先端部で発掘をやっているではないか。ラッキーと思ったのも束の間、河川敷に目をやると工事途中の橋脚がある。ということはここに道路が通るための緊急発掘だと思った。調査をしている方に聞いたところ、縄文後期の住居跡などが出ているのでそれの調査だとのこと。「この付近は覃部館の推定地だと聞いてきたのだが」と尋ねてみたが「知らない」と言われてしまった。縄文を掘っているということは、中世はすでにはぎ取られた後、ということですな。 |
所在地 | 北海道渡島支庁松前町本山。松前小学校下の台地。 |
参考書 | 『図説中世城郭事典第1巻』、『北海道の館』(中世城郭研究第5号) |