大谷城

概説 大谷城の主は、伝承によると、根古屋城主である秦野(波多野)刑部少輔秦治宗であるとされている。この頃は、室町幕府十二代将軍足利義晴(在職1521〜1546年)の頃であり、木原城主近藤八郎三郎勝秀、江戸崎城主土岐原治頼が力を増していた頃である。この城は、永禄・天正の頃以降の記録は確認されていない。[『美浦村誌』より]
 なお、鹿島神社周辺は「木曾ノ内遺跡」という名称で最近登録された。
目印は大谷の鹿島神社
    その他の写真
  1. 東に余郷入を望む
  2. 鹿島神社本殿裏の土塁
訪問記[2000/05/08]小沢歯科の裏山に鹿島神社があり、ここが主郭部と思われる。社の北に土塁がわずかに残る。
所在地稲敷郡美浦村大谷字木曾ノ内1641-1外。大谷交差点「あたり屋食堂」北側の鹿島神社境内。
参考書『美浦村誌』