小田陣代

概説 清明橋附近に小田氏の陣代址と呼ばれる地域があり、寛文の村絵図によれば、前方に清明川を控え後方は土塁と堰場より引き入れた水堀に囲まれている。この館は湖水よりの侵入を見張り、更に備えの役割を果たした外城的性格のものではなかろうか。なお、川口附近には龍害と呼ばれる地域があるが、現況を踏査した限りではこの地名に相応しいものは何一つない平凡な水田である。龍害とは要害のなまりで、城館の遺跡につけられた名称とうけとめられるので、遺跡が完全に破壊されて耕地化されたものか、陣代館を指していたものが時代の流れと共に呼称地域が変わったものであろうか。[「塚原古墳群第1号墳調査報告書」より]
清明川東対岸から小田陣代跡を見る
訪問記[2001/10/9]民家の一画、雑草が繁茂していて眺めただけ。
所在地稲敷郡美浦村舟子字上舟子。清明川に架かる清明橋の北西100mほどの所
参考書「塚原古墳群第1号墳調査報告書」、「舟子城のおもかげ」(美浦村史研究三号)