小幡千貫桜東堀切(仮称)

概説 小幡千貫桜西堀切(仮称)と約300mの間隔で並行して東側に構築されており、目的は同じだろう。鉾田市の石崎勝三郎氏が発見した土塁・堀切であるが、2006年6月現在遺跡としては未登録。遺跡登録されていないので、付近の字名を採って仮称としておく。
赤坂入口バス停付近から南へ約300m入ったところの両側に堀と土塁がある
小幡城周辺遺構分布(昭和49年航空写真を元にした)(クリックで拡大)
その他の写真
  1. 道路通過予定地のため近々湮滅する(右手が小幡城側)
訪問記[2005/07/25]写真のように道がS字を描いているのは土塁と堀で食い違い虎口でも形成していたのだろうか?
[2006/06/05]石崎勝三郎氏が発見された遺跡であるが、遺跡として登録されておらず、またしかる場でも発表されていないため『美浦村お散歩団』での公開を控えていたが、湮滅が近づいていることから石崎氏の了解を得てここに紹介することにした。
[2006/06/25]北関東自動車道と百里を結ぶ高速道路工事によって小幡城周辺の遺構がかなり影響を受ける。それらが壊される前に再度現況を確認してきた。一緒に歩いた一人は、地形を見るなり「集落跡があるに違いない」と言いながら時代は不明だが土器片を拾っていた。
所在地茨城町小幡。茨城東高校の北東側から小幡千貫桜西堀切(仮称)と約300mの間隔で東側に並行して構築されている。
参考書