七重浜台場

概説 昭和40年頃まで七重浜は延々とハマナス・月見草が群生する砂丘が続き、国道から海は見えなかったそうだ。現在スパビーチがある辺りの砂丘の上に台場跡があったことは縄文土器の落合コレクション(国立歴史民族博物館所蔵)で有名な上磯の郷土史家故落合計策氏が確認している。戦後今の北大水産学部を進駐軍が接収していた時代には七重浜は軍のゴミ捨て場になっていて地元の人たちはそこへ使えるものを拾いに行ったという。高度経済成長期に砂丘は取り崩されさらに砂取りのために穴が掘られ、その後穴にはゴミが捨てられ埋め立てられ現在の商工業施設が出来ていった。[落合計策氏ご子息談]
 箱館戦争で使われた「七重浜台場」は松前藩士の記録した「楠見日記」に「峠下ニ台場1ケ所、七重浜ならびにシカベ越路江1ケ所」と記載されている。これと同一物か否か分からないが北方警備のための「七重浜台場」が「文化3年陣立図」(南部藩)に記載されている。[『道南地方の台場跡一覧』より]
 また、ゴロウニン『日本俘虜実記』(講談社学術文庫)掲載の「箱館港平面図」には、箱館から富川にかけての箱館湾沿いの5つの河口付近に1813年に構築された要塞が描かれている。その一つは常磐川河口付近ではないかと思われるが、それが七重浜台場かもしれない。--> 「その他の函館周辺の台場」もご覧下さい。
スパビーチ付近の浜(びっくり市裏から撮影)
その他の写真
  1. 常盤橋と常磐川河口
訪問記[2002/08/12]現在フェリーで函館湾へ入ってくると上磯は丸見えだが、かつてそこは砂丘によって町並みはまったく見えなかったらしい。遠浅の砂地のため座礁を恐れ艦砲射撃の軍艦もなかなか近づけなかったらしい。
[2003/08/30]常盤川河口付近を見てきた。古絵図を見ると常盤橋は古くから架かっていた橋のようで、箱館側から上磯側へ橋を渡るとすぐに枡形があったようだ。
所在地上磯町七重浜。スパビーチ付近または常磐川河口付近へかけてのどこか。はっきりしません。
参考書ゴロウニン『日本俘虜実記』