永井館

概説 別名、地元の人は馬場城と言っていた。
 永井の大日山の頂上附近に築かれており、甲山城と同様、戦争の時だけに立て籠もる砦である。普段は平地に居を構えていた筈で、寄居という所がその地ではないかと思われる。伝えでは、小田時知の時代、国府大掾家の内紛に乗じてこの地までを小田領化して、佐谷郷以東の大掾氏と対峙することになった。そして戦国期には、東北方面の前線基地として、前野修理を配したという。[『新治村史』か?]
空堀と土塁
その他の写真
  1. 下からの道を見張る櫓台か(頂上に大きな宝篋印塔がある)
訪問記[2003/04/07]行き止まりの民家へ登ってしまったが、城跡の所在を聞くと地元では永井館とは言わず馬場城と言っているそうで、裏山へ入るのをお許しいただけた。頂上には堀と土塁が廻っていて、西側で土塁から角のような土塁が突き出す構造だったように思う。その北側にももう一本土塁が突き出していた。そうとうな藪だったので一周するのがやっとだった。宝篋印塔のある塚は南側に位置するのだと思う。雰囲気は甲山城によく似ている。
所在地新治郡新治村永井中台。永井交差点の西約150mあたりから北へ入る細い道があります。そのまま行ってしまうと民家で行き止まりになりますので、100mほど入ったあたりから左へ入る未舗装路がありその道を登ると(おそらく)宝篋印塔のある塚のところへ辿り着けると思います。ただし、私はこちらからは行ってないのであくまでも推測です。距離の数値も適当ですのでご参考まで。
参考書『茨城県遺跡地図平成13年度版』、『村史千代川村生活史 第一巻自然と環境』