師戸城(もろとじょう)

概説 師戸城は、千葉氏の一族であった臼井氏の居城である臼井城の支城として、14世紀に築かれたといわれる。その後、何度か改築され、現存するような形となったのは16世紀中頃と推定される。
 印旛沼の対岸にある臼井城とは「渡」で連絡され、臼井城の防衛に大きな役割を果たしたと考えられる。永禄9(1566)年上杉謙信の臼井攻めにもよくその猛攻を防いだが、天正18(1590)年、豊臣氏による下総攻略で落城し、臼井城と命運を共にした。
 本丸、二の丸、三の丸、道場台の4つの郭、土塁、空濠などがみられる。[現地説明板より]
道場台と三の丸間の空堀(カラボリ)
    その他の写真
  1. 三の丸と二の丸間の空堀(中堀)
  2. 二の丸と本丸間の浅い仕切堀(小堀)
訪問記[2002/2/19]きれいに公園整備がされている。小規模だが屏風折とも言える中堀が印象的。二の丸と本丸はもともと一つの郭空間を小堀で仕切っている感じ。木原城本丸内にも仕切堀が検出されているがこんな感じだろうかと想像した。
所在地千葉県印旛郡印旛村師戸。印旛沼公園となっている
参考書