水守城(みもりじょう)

概説 全体の縄張り、堀切の規模、土橋と櫓台の位置関係などからみて、水守城は戦国期に作られたとみられる。勿論、地理的条件のよい場所であるから、それ以前に城が作られており、それが戦国後期に大改修されたということも考えられる。なお水守城の位置には『将門記』に記されている水守営所があったといわれているが、もとより確認できない。ただ水守営所が置かれたという10世紀当時、この場所に古墳が群集していた可能性のあることを考えると、そうした場所に営所を築いたか否かが、今後の研究課題だろう。[『筑波町史』より]
田水山小学校地内の古墳を利用した櫓台
    その他の写真
  1. 南側大堀切に架かる土橋
  2. 大堀切東側の大櫓台斜面
  3. 大櫓台頂上はこんな状況でした
訪問記[2002/12/31]北側の田中幼稚園脇から城内へ入ると右手の古墳を利用した櫓台側の藪の中に水守城址の石碑が埋もれて立っている。その先の田水山小学校地内にはもうひとつ古墳を利用した櫓台が残る。さらに南へ歩くと畑の先の土塁の向こうに大堀切を渡る土橋がある。土橋から東側を見ると大藪ではあるが大櫓台がそびえているのが分かる。頂上に立つと土橋が眼下に見え、上から撃ち降ろすことで横矢の効果抜群だと感じられた。
所在地つくば市水守。田水山小学校周辺。
参考書『筑波町史』