築島砲台

概説 安政2(1855)年、松前城南東の福山枝ケ崎町の海岸に造られた強力な砲台で、岩礁上に構築。箱館戦争の際、松前軍はこの台場に拠り、湾内に侵入した脱走軍の軍艦、回天・蟠竜の二艦はこの砲台からの砲撃のため損傷したが、法華寺台を占領した徳川脱走軍はこの砲台をつるべうちにした。
 枝ヶ崎砲台あるいは板ヶ崎砲台、大松前砲台とも。『蝦夷錦血潮之曙』には「従来七砲台アリ、即チ白神、根森、馬形、三郭、町館、立石野、折戸ナリ 然レ共実用ニ通スルモノ少ナシ依テ更ニ三砲台ヲ新築ス 即チ大松前、生府、唐津内ノ三ヲ増ス、大松前ハ元ト豪商、藤野伊兵衛ノ築島ニシテ海中ニ屹立ス、四壁皆ミカケ石ヲ以テ塁積堅牢無比、大砲三十門皆新製ノ海岸臺二十四斤、十八斤、十二斤ノ大砲ヲ居ウ、」とある。
埋め立て地の下に岩礁が見える
    その他の写真
  1. 法華寺から築島方向を望む
訪問記[2002/7/29]現在岩礁は埋め立てられているが、埋め立て地の周囲には岩礁がはみ出しているのが分かる。法華寺から目の下に元の築島一帯が望まれる。ここからつるべうちではひとたまりもなかっただろう。
所在地松前町豊岡。国道228号線から松前市街への入り口の海側一帯。
参考書「蝦夷錦血潮之曙」(『松前町史史料編第1巻』)