栗崎城

概説 元の吉沼城。坂本部落から北方に突きだした台地にあり、三方に掻き上げ土塁が残っている。永正元年豊田氏の家臣原外記が小田城の支城として築いたと伝えられる。天文4年多賀谷重政の攻略あって落城、外記は戦死した。道鎮坂がこの時戦死した家臣飯岡道鎮の最後の地であったとの現存がある。天文12年多賀谷政経(重政の子)がこの地へ正福寺を建立した。[『大穂町史』より]
郭下の横堀
その他の写真
  1. 郭周囲の土塁。良い感じの横矢が掛かっている
訪問記[2003/04/27]たいした期待も無しに来たが、内坂公民館北側裏の郭周囲の土塁はなかなかのもの。横矢掛かりのなんともいえない優雅な感じがとても気に入りました。
所在地茨城県つくば市吉沼。正福寺が目標。県道53号線バイパスで城域が南北に分断されている。特にバイパス北側、正福寺および内坂公民館北側にとても良い感じの郭と土塁が残る。
参考書『茨城県遺跡地図平成13年度版』