高野城(こうやじょう)

概説 城の所在地を北今城、南今城と言っているから今城と呼ぶのがよいかも知れない。土地の人はこれを「いまんじょ」と呼んでいる。高野城は戦国期に増改築された守谷城とか、相馬氏の出城等と比較して、その構築様式が簡単で、それより古い感じは否定できない。相馬氏は北畠顕国のために新城を築いたということがあるので、高野城はその意味の新城ではないかと考えられる。このことから南北朝時代に相馬氏によって築造され、南朝方の拠点として使用されたものであろう。[『守谷町史』より抜粋]
うららか公園は今城城址公園として整備されている
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  1. この土塁が唯一の遺構
訪問記[2002/11/05]城址公園として土塁が残っているとは思ってなかったので一安心。
所在地北相馬郡守谷市けやき台3〜4丁目。とくにけやき台3丁目の「うららか公園」は「今城城址公園」になっている。
参考書『守谷町史』、『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』