光仏土塁(こうぶつどるい)

概説 木原城防衛のための土塁の一つと考えられている。

    その他の写真
  1. 土塁の切れ目
  2. 土塁の内側(木原城側)
  3. かつてここには折または食い違いの虎口でもあったか
  4. 土塁の切れ目付近から県道側を望む
訪問記[1998/03/30]県道美浦栄線(木原正直線)からの入り口付近は篠竹のボサになって湮滅状態だが、100メートルほど入ったところから奥へ向って立派な土塁が残っている。
[2001/02/12]『城郭祭in水戸』へ出す「戦国土塁の現状レポート」用の写真を撮りに来て畑作業に来た奥さんとはなしをする。はなしの中でなんと、阿見町の大竹房雄先生のところのお嫁さんだと分かる。
所在地稲敷郡美浦村布佐。目印はホギメディカルの工場とツムラの社員寮の中間あたり。美浦境土塁から450メートルほど木原へ向ったところ。
参考書『阿見町史』P178地図、『阿見町史研究第3号』