木原城について




木原城址

 いまでも曲輪を仕切る巨大な堀や土塁がよく残されている木原城址は、中世の城跡で詰曲輪(本丸)の部分が現在城山公園として整備され、春には城山まつりがおこなわれ地域の人々に親しまれています。
 木原城は戦国時代末期、江戸崎城主土岐原氏の被官近藤氏が築城したともいわれています。しかし、いつ、誰が築城し、そこでどのようなことがあったのかということについては、ほとんど記録が残されていません。謎多き巨城です。これまでに一部を発掘調査した結果、詰曲輪の部分において、地形を変えるほどの大規模な土木工事がおこなわれていたことや、城が築かれる以前には、古代のムラがあったことなどがわかりました。また、詰曲輪を囲む巨大な土塁は版築とよばれる薄い土を何枚も積み重ねる技法でつくられていました。詰曲輪内から出土した像高5cm程の塗金を施した青銅製の仏像は、当時の武士がお守りとして持っていたものではないかと考えられています。木原城址の周辺には今でも木原城に関係のある遺構や名称などが数多く残されています。[パンフレット『美浦の文化財』より]