天徳寺および報仏寺

概説 北に天徳寺、西に河和田小学校、南西に八坂神社、南に報仏寺を囲む、東西約510m、南北約600mの広大な中世の平城跡。大掾氏の家臣河和田入道貞国が、延元元(1337)年に築いたのがはじめで、やがて江戸道房、江戸氏水戸入城後は家臣の春秋氏が、約1世紀にわたり居住したが、佐竹時代に廃城となった。
 報仏寺(浄土真宗) 『歎異抄』の編者といわれる親鸞の弟子唯円房開基の、水戸地方真宗教団発祥の由緒ある寺。建保6(1218)年、現在地より南500mにある心字池のほとりに道場がひらかれ、親鸞上人もたびたびここに滞在したという。[『茨城県の歴史散歩』より]
天徳寺駐車場脇の堀と土塁
    その他の写真
  1. 天徳寺境内の水堀と土塁
  2. 報仏寺山門前の空堀
  3. 報仏寺境内南側の堀と土塁
訪問記[2001/02/19]広大な縄張りの中に多くの遺構があるので一回や二回では見切れないです
所在地水戸市河和田町
参考書『茨城の古城』、『常陽藝文特集茨城の城』、『茨城県の歴史散歩』