神立館(かんだつやかた)

概説神立館主についての伝承は曖昧で、小田五郎藤綱(直高)とも菅谷勝貞とも考えられている。五郎は孝朝の子で、難台山の乱に戦死した。神立館がその居城だった所というのである。
また、菅谷氏の苗字は、神立郷に属していた菅谷の地に負うものと思われ、土浦城主となってからの菩提寺神竜寺は、前身が神立寺だったともいわれるから、土浦以前の居処がこの地だった可能性も強い。神立隼人正という伝えもあるが、これについては何も分からない。[『土浦市史』より]
腰郭か?
    その他の写真
  1. 県道脇の堀跡(?)の底に池。水堀だったのか?
  2. 畑地近くのこの塚は土塁跡か?
訪問記[2002/5/5]手懸かりは「木田余から神立駅に向かう道路が坂を登り切って少し進んだ所、左手の畑地に廃寺神立寺と接して館跡があり、堀の跡も残っている」だったのだが、地元の方数人に聞いても「廃寺神立寺」の場所は分からなかった。したがって、写真を写した場所も推測の域を出ないため、「...か?」ばかりになってしまった。
所在地土浦市神立
参考書土浦市史