石神城

概説石神城は久慈川の低湿地と約25mの差がある台地上に構築された3つの郭からなっていた。延徳2(1490)年、小野崎通老は前年の父通綱の軍忠により佐竹氏より石神、河合の所領を与えられ、石神の地に居館を構築した。天文5(1536)年、石神三郎越前守大蔵大輔通長が当城に居城していたが、所領争いから同族の額田城主就通の攻撃を受けて落城し、城を失った。[『日本城郭体系4』より]
駐車場からの眺め
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  1. 正面の土塁の向こうは三の郭
  2. 三の郭から二の郭方向を望む
  3. 三の郭と二の郭間の土橋と堀
  4. 横矢状になっている二の郭の張り出し。右手は一の郭
  5. 三の郭への土橋と角櫓
訪問記[2001/11/5]郭内部はもちろん、土塁も堀もきれいに手入れがされている。
所在地茨城県那珂郡東海村石神
参考書『茨城の古城』、『常陸国 石神城とその時代』(東海村教育委員会)