比石館

概説 三方が水に面した断崖となっている岬の付根を切り下げて空壕をつくった、地形を巧みに利用した館(砦)。標高25m、先端から壕まで200m、最大幅30m。平時は館の下に居住していた。畠山重忠の一族ともいう厚谷将監重政が1440年頃渡道し築いたと伝えられる。1457年コシャマイン軍の攻撃で陥落、後復興された。この時館主重政は館下に身を投じ、川の主、大鮫となったともいう。厚谷氏は蛎崎(後松前)氏に仕え寛永年中、貞政が一命を捨て藩主公広を救った功により久遠場所を領した。館内に軍神経津主神を祀る館神社があり、16世紀頃の中国製、国産の陶磁器、焼米がみつかっている。道南十二館中現存する5館の一。比石はアイヌ語ピツウシ、石の多い所の意。[上ノ国町教育委員会による説明板より抜粋]
国道228号線北側からの遠望
    その他の写真
  1. 石崎橋からの遠景
  2. 石崎漁港から見上げる
  3. 岬先端の館跡を臨む
  4. 館野神社周囲の土塁は後世のものか?
訪問記[2001/6/4]館先端部へ行くには馬の背状になった尾根を通るのだが、風が強い日だったら高所恐怖症の私には渡れなかったと思う。ある研究者から聞いた話では、16世紀の遺物と思われるものも館跡から見つかっていることから、(陥落後改修されて人が住んでいたことまでは否定はできないが)アイヌのコシャマインとの戦いで落とされた比石館というのは別にあった可能性がある、とのことです。
[2002/6/10]上ノ国町は現在、ここ以外の2カ所の「比石館推定地」で調査を行っているとのことです。
[2002/7/22]準備調査の結果、ここあそこの「比石館推定地」からは肯定的な物も出なかった代わりに否定的な物も出なかったそうです。
所在地北海道桧山支庁上ノ国町館野
参考書