花指土塁

概説 雀久保土塁から1500mほど江戸崎へ向かった辺りに構築された街道閉塞用土塁。信太の台地を島状にする目的と思われる。土塁はさらに北方向へ伸び、美浦村内にあった赤松池(あるいは草切池か?)まで達していたと聞く。
住宅と畑の境界線が土塁の跡
その他の写真
訪問記[2003/02/04]土塁南側のほんの一部は残存しているように『阿見町史』や『阿見町史研究第3号』の図は示していたが、今ままで確認していなかった。あまり期待しないで行ってみたのだが、一応それらしきものはあった。
[2004/04/05]前回それらしきものと思ったのは誤りだった。帯状の藪として残っていたのを知ってはいたが、ここが土塁だとは気づかずに通り過ぎていた。数年前、アパートが建つ頃に藪が取り払われ地ならしされたようだ。畑の先まで行ってみたが土塁の痕跡は残っていなかった。
所在地稲敷郡江戸崎町月出里(すだち)字花指。花指大師バス停の南東300m付近。江戸崎石材センターの向かい側。
参考書『阿見町史』、『阿見町史研究第3号』