二股口台場

概説 現在「台場山」と呼ばれているこの場所は箱館と江差を結ぶ江差山道という古い街道の難所だった。かつて江差のニシン漁華やかなりし時代には難所ではあっても大勢の人々が往来した道路であった。
 箱館戦争明治2年の戦いでは、土方歳藏率いる約300人の兵隊が新政府軍の前進を頑強に阻止した場所であり箱館戦争最大の激戦地と言われている。4月10日に二股へ到着した部隊は二日がかりで16ケ所の胸壁を構築し西方の天狗岳に前線基地を設けた。12日、稲倉石へ到着した新政府軍は、13日正午過ぎから天狗岳の攻略を開始、夜を徹しての銃撃戦が行われたが翌朝新政府軍は突破を断念し稲倉石へ撤退する。新政府軍は兵力を増強し4月23日午後4時頃から再戦となるが、25日、新政府軍はふたたび撤退した。しかし、29日に海岸線の戦いで矢不来が突破されたために、退路を遮断される危険が生じ土方軍も撤退を余儀なくされた。[現地説明板と『箱館戦争写真集』を参考にした]
国道227号線脇の入り口
    その他の写真
  1. 台場山への登り口
  2. 台場山の峠
  3. 胸壁
訪問記[2002/7/15]ここは雪解けから草がのびる前までの時期でないと上がれないと聞いていたのでほとんど諦めていたのだが、大野町郷土資料室のM上さんに草が刈られていることを教えてもらったので早速行って来た。国道からオフロードを入り正面の水利施設のところを左折すると駐車スペースがある。車両通行止めのロープをすぎて山裾を右手へ回り込むと登り口がある。ここから山道を200mほど登ると峠へ到達する。胸壁というのは戦闘中に身を隠して射撃するための塹壕のことで、現地には胸壕と書かれていた。
所在地渡島支庁亀田郡大野町中山
参考書『箱館戦争写真集』