大光寺新城

概説 昭和63年以降の12次にわたる発掘調査の結果、11世紀初期から17世紀初頭までの約600年間にわたる城館遺跡であることが判明した。中世には津軽地方の政所的性格を有し、豊かな経済力に支えられ絶大な支配力を有したものと想像される。[現地北側説明板より]
 大光寺城は、新城、古館、小館、五日市館からなる。新城の城域は、主郭・北の郭・南の郭・袖郭の四郭からなっている。新城は、発掘調査により11世紀に築城された事が判明し、南部氏に支配が移ってからは滝本播磨守重行など数次にわたり城主の交替があった。廃城は、慶長14(1609)年津軽左馬之介建広が城主のときとされる。慶長15(1610)年の高岡城(現在の弘前城)の築城に伴い、大光寺城は取り壊されたため、当時の遺構はないが、現在国の重要文化財に指定されている弘前城北の郭北門(亀甲門)は大光寺城の追手門を移築したものであり、往時の偉容が偲ばれる。[現地南側説明板より]
城址碑前の道路は堀切跡
その他の写真
訪問記[2003/06/13]8年に渉る調査から、遺構が重層的に検出されかなり長期に渡って使用されてきたことが確認されたそうです。はっきりと目に見える形での遺構の残存はほとんど無いらしいが、大光寺公民館および城址碑前の道路は堀切跡だ。また本町郵便局付近には南の郭の段郭が見られるらしい。
所在地青森県南津軽郡平賀町大光寺。平賀町文化センターの西約380m、大光寺公民館付近が主郭跡。
参考書『大光寺新城跡遺跡』パンフレット(平賀町郷土資料館)