浅瀬石城

概説浅石城の沿革:浅石城は中世南部氏の一族、千徳氏11代、350年余の居城で鎌倉時代の中頃(13世紀)、千徳伊予守行重が築城したと伝えられている。文明年間(1470年の頃)7代城主千徳政久は三戸南部氏より領地を安堵され、津軽一円の代官として栄えた。戦国時代(16世紀の末)には10代城主千徳大和守政氏が大浦為信と同盟を結び、共に津軽平定に活躍したが、11代千徳政康のとき、為信との同盟が破綻し慶長2(1597)年2月28日、大浦勢の攻撃をうけ落城して廃墟となる。当時の浅石城下は多くの神社仏閣が軒をならべ、家中侍屋敷530軒余、市街地1230軒余、近在の家200軒余の城下町であった。[「黒石市教育委員会、浅瀬石地区史蹟保存会」による現地説明板より]
北側からの遠望(中央の丘)
    その他の写真
  1. 城址碑
  2. 城址碑向かいの館神神社は物見塚のよう
  3. 堀跡は農園の作道
訪問記[2002/6/7]城は北へ突き出た舌状台地の先端に占地されているようだ。現在はリンゴ畑である。農園内の作道は堀跡と思われる。「浅瀬石城」の城址碑があり、近くを「浅瀬石川」が流れ、道路地図には「浅瀬石城」と記載され、説明板作成者名にも「浅瀬石地区」とあるが説明板の城名は「浅石城」である。『日本城郭大系2』では「浅瀬石城」となっているので本ページでも「浅瀬石城」とすることにした。
所在地青森県黒石市高賀野
参考書『日本城郭大系2』