安食館(あんじきやかた)

概説 安食館は北ノ坊集落の一部と塙前(はなまえ)集落にまたがってあった。塙前集落と田子内・中道両集落との境近くに堀があり、堀から第二保育所近くまでの約三ヘクタールには「堀之内」という地名も残っておりここが本丸であろう。その西の大宮神社と堀之内との境には当時の名残りと思われる土手が一部残っている。この西に屋号を二城内(にぎうち)という家がある。二城内は二の丸の意味であろう。『香取応安海夫注文』『大宮縁起』などによれば、「此地(安食郷)は小田時知(小田氏四代)が子安食越中守盛知地頭にて、其子兵部少輔知房に伝う」とある。また、「小田系図」でも小田氏五代宗知の弟盛知が此地に住んだことを示している。これらのことより、鎌倉時代に盛知以下小田氏一族の居館がここにあったものと思われる。[『出島村史』より抜粋]
大宮神社東側の民家に残る土塁
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  1. この林の中(田子内部落の民家)にはとてもよい土塁が残るのだが
  2. 手前堀ノ内と田子内を隔てる土塁
訪問記[2002/9/23]出島の集落全般に言えるのだが、わさわさしていないのがよい印象です。田子内部落の民家敷地に残る土塁はなかなかよいのですが柵で囲われているので入れないのが残念。
所在地霞ヶ浦町大字安食字堀之内
参考書『出島村史』、『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』