足高城(あだかじょう)

概説 足高城については、いつ頃だれが築いたかは詳かでない。『東国戦記実録』によれば「栗原信道の孫信則が、明徳2(1391)年に山名時氏内野合戦に秀でた高名があり恩賞として常州足高・牛久を頂きここに居住することになった。」とある。また、『岡見宇治系譜考証』には、常陸守護職小田治久が北朝方侵攻の押さえとして岡見に砦を築いたが、その子孫が足高城主になったと記されている。そして、信則から9代目にあたるという中務少輔宗治のとき、天正16(1588)年に多賀谷重経に攻められ落城するに至ったという。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
城中八幡社入り口の物見台(あるいは土塁?)
    その他の写真
  1. 城中八幡北側下の舟着場は今も沼地
  2. 台坪の土塁と堀(道路工事中)
  3. 瑞源寺にある由良国繁顕彰碑
訪問記[2002/10/22]城中八幡社周囲の堀と土塁はなかなか豪快。八幡社北側すぐ下の舟着場跡は今も水を保ち沼地の様相を呈している。城中八幡社入り口にある小山は調査報告者では物見台としているがこれを土塁の残りと見ている人もいる。
所在地筑波郡伊奈町城中。城中八幡神社およびその北西側一帯。近くの瑞源寺には由良国繁の顕彰碑がある。
参考書『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』