この介護で冥途に行け!

 香織は新聞の折り込み広告を握りしめて急ぎ足で歩いた。
(はやく行かなくちゃ、もう面接の時間だわ)
 チラシに印刷された小さな地図を頼りに、ところどころ道を間違えながら、香織は面接現場に急いだ。
「これからは心を入れ替えて、世のため人のためになる仕事をするんですよ」
 入牢1年、執行猶予3年の判決を受けたときの、白髪の裁判官の声が脳裏によみがえった。
(あたし、人のためになる仕事をします。だからお願い、間に合って)
 しっかりと握りしめられ、しわくちゃになったチラシの、赤丸で囲っている箇所には、こんな文字が印刷されていた。
「初心者歓迎! 初歩からしっかりと教えます」
「あなたの温かい心をお待ち申し上げます」
「老人のお世話をする仕事です」
 写真を貼った履歴書を大事にしまいこんだバッグを揺らせながら、香織は急ぎ足で歩く。
(でも……電話したときの声、なんか聞き覚えがあるような……いけない、余計なこと考えちゃダメ!)

「ぎゃああああああ」
 ようやく辿り着いた事務所で迎えた人物を見て、香織は絶叫した。
「おいおい、寝ているご主人様もいるんだから、大声は出さないでくれよ」
 その名は秋葉城蓮。
 メイドカウンセリングと自称する店を経営し、大麻を使ったアロマセラピーを行って、職員の香織ともども逮捕された人物である。
「なっ……なんであんたが……たしか、執行猶予がつかなかったはずなのに……」
「控訴したら情状酌量で減刑されたんだ。裁判員制度のおかげだよ」
「帰ります」
「まあ待てよ」城蓮は粘っこい掌で、香織の肩を抑えた。
「せっかく来てくれたんだから、施設の見学くらいしていきなよ」

「改めてご挨拶する。メイド介護事業所『ワルハラ』の施設長、秋葉城蓮だ」
(やっぱり、チラシに『冥途介護』と書いていた時点で気がつくべきだったんだわ)
 唇を噛む香織をよそに、城蓮は上機嫌で説明を続けた。
「有料老人ホーム、デイサービス、訪問介護サービスを行っている小規模多機能型施設だ」
(少女の萌えイラストがあった時点で気がつくべきだったんだわ)
「他の施設との最大の相違点は、介護者がメイド服で利用者にサービスを行うことだ。むろん、利用者のことは『ご主人様』と呼ぶ。デイサービスで迎えるときは『お帰りなさいませご主人様』、送り届けるときは『行ってらっしゃいませご主人様』であーる」
(『前科者でも区別なく働けます』とわざわざ書いていた時点で気がつくべきだったんだわ)
「レクリエーションも他施設とは違い、『ふーふーあーん競争』や『オムライスにハートマーク』など、最新のプログラムを野心的に取り入れている。まさに団塊の世代のための、次世代老人介護……なんか聞いてないな」
「早く帰らせてください」
「まあ、そう言うな。見学がまだじゃないか」

 ビデオで「快傑のうてんき」が放映されている共同生活室を、白のドレスにオレンジやピンクのスカート、エプロンに身を包んだ娘たちが行き来している。胸には「ようこ」「ゆみこ」「花櫚」「ちこりん」「AngryAngel」など、ハートマークの名札のプリントが施されている。
「ロボコンかよ……」
 香織は呟いた。
「ロボコンではない。ご主人様に名前をきちんと覚えてもらうための名札だ。本当はバッヂにしたかったんだが、介護の邪魔になるのでね」
「きちんと覚えてもらいたかったら、ややこしい漢字やローマ字はやめた方がいいんじゃないの」
「そのへんは職員の自由にしている。わが国は自由な国ですからな」
「ご主人様……」ピンクの制服の娘が、ビデオを見ている老紳士の前でひざまづいた。
「おトイレには、もういらっしゃいましたか?」
「はやひゃひぃひゃひゅ……」パジャマにトレーナーを羽織った老紳士は、よくわからない音声を発した。
「まあ、それはいけませんこと。後でおトイレにご案内さしあげますね」
「あのように、ご主人様への対応は敬意をもって行うこと、との教育が行き届いている」
 城蓮は娘を指さし、自慢げに語った。
「態度はいいけど、制服の色、どうにかならないの?」
「老人の目に優しい、淡いオレンジ、ピンク、黄色を採用している。色の違いは所持資格がご主人様にもはっきりとわかるように分けている。オレンジは無資格またはヘルパー2級、ピンクは介護福祉士、黄色はケアマネージャーだ」
「この制服……どこかで見覚えがある……」
「はっはっは、まあ、よくあるデザインだ」
 城蓮は自慢げに腹をゆすりながら、
「こちらでのサービスは、大きく分けて身体介助と肉体援助……」
「肉体援助?! あんた、今度は風営法違反で入牢したいの?!」
「あ、いや、生活援助をちょっと言い間違っただけだ、他意はない」
 そのとき、ピンクの制服の娘が、老紳士に皿を捧げた。
「ご主人様、ピンクチェリーパイ、お待たせいたしました」
「あーーーーーーっ!」
 香織は絶叫した。
「思いだした、この制服!」

 香織は城蓮に指を突きつけた。
「あんたはタダの傭われ施設長、オーナーは別にいるわね!」
 城蓮は顔色にわかに青ざめた。
「な……なぜ、そのことを……」
「星はなんでも知っている」香織はゆっくりと言った。
「この制服はアンナミラーズ。と、いうことは、オーナーはアンナミラーズ残党。すなわち……」
 黒い小さな影が、ユニット型居室の横をさっと通りすぎた。
 刹那のことである。
「kasumi、あなたね! 出ていらっしゃい!」
 小さな黒い影は、香織の影と重なった。
 香織は、ゆっくりと上を見あげた。
「くきょきょきょきょ。よくわかったのことなのです」
 全身を黒いアサシン装束に包んだその女性は、香織と目を合わせ、にやりと微笑った。
 ぎらり、と、黒装束に施された人顔型のラメが光った。
「本棚に、その2先生も執筆している伝説のアンミラ同人誌があった時点で気づくべきだったわ」
「あんたの推理能力は認めるでち。しかち日本では2番目なりよ〜」
「あら、じゃあ1番は誰なのかしら」
 黒いアサシン姿の女性は、天井から蝙蝠のようにぶらさがったまま、ちちちと指を揺らした。
「もろちん、もといもちりん、あちきなのですぅ。ズバッと参上、ズバッと解決、さすらいのヒロイン……」
「あるときは片眼の運転手、あるときは中国の大富豪、またあるときはニヒルなアサシン」香織はやむなく続けた。
「そしてもふもふと怪盗ぷりてぃぴんく、あちきはあちきは大変装ぉ〜」
「いいかげんにしなさい!」香織は怒った。
「ネタが古すぎてわかんないわよ」
「もう謎の生物をむいむい従えた、おされなまっだーむだから別にいいにょ」
「kasumi……あなたの目的はなんなの?」
「オフコース、サヨナーラ、イェスノー、そりはあんなみらぁずの復興にょ」
「やはり……」
「夫の人を中近東支部に置き忘れたまま駆けつけてきたにょ。メイドブームに乗って、アンナミラーズを世界に復活させるにょ、むふふん」
「いや、ブーム終わりかけてるから」
「帝国復興! あーんみーらはーとーてもーうまいー、こぉひぃはーいーつもーあーついー、ちぇりーたるとはあまい、あっぷるぱいはあまい……」
「たとえ冬季オリンピックの練習中にその命を散らした、グルジアのクマリタシビリさんが許しても、この香織が許しません!」
「にょにょにょにょにょ、ブラックベリーパイ、ブルーベリータルト、アカスグリケーキ、グレープフルーツジュース、桃のシャーベット、梅宮戦隊アンナミラーズ、いざ出撃するのです! くぎゅぅぅぅぅぅぅ!」
「それは梅宮ではなく釘宮だ」
「失敬したでち。うみゅぅぅぅぅぅぅぅ!」

 なぜだかよくわからないうちに闘いは始まった。わらわらと集まった変態という名の老紳士たちは、女の闘いをぼんやりと見ていることしかできなかった。
「なんですかのう正太郎さん、このモーレツ娘たちはのう」
「懐かしい喃、真吾さんや。ほれ後楽園でよく見た、あれじゃよあれ。ええと、なんちゅうたか喃……」
「マサルさんや、そりゃひょっとしてアトランタじゃなかったかなあ」
「アキラさんや、それを言うならアブストラクションじゃのう」
「昔はよかったのう、猛さんや。サイケやらヒッピーやらがおってのう」
「ほんまやのう、賢太郎さんや。ツィッギーやビキニスタイルのお嬢さんがおったのう」


戻る          次へ