第13話 アルバイト   

 これから東京で生活するにはアルバイトをする必要があると、早速、新聞の求人情報を読みあさりました。たまたま見ていると、某大使館の運転手を募集しています。まあ、英語は少々できるし、車の運転も好きだし、とりあえず特技を生かした仕事先ということで応募してみることにしました。場所は世田谷区。朝7時出勤で大使のお子さまたちをインターナショナルスクールまで送迎することが主な仕事で、あとは大使の家族が買い物に行くときに付き合うことだけでした。夕方4時には仕事は終わりましたが、そのわりには結構良い給料をもらいました。夜の10時には就寝し、朝5時には起床するという、いたって健全な生活パターンです。しかし、その生活パターンは悪くないにしても、仕事の内容を考えると、もはや続けるに値しないと、3ヶ月ほどでやめてしまいました。次に、大学卒業後にもお世話になった某音楽事務所で、再びアルバイトすることになりました。仕事の主な内容は有名ホテルで行われるブライダル音楽を担当する奏者の現場確認をすること。今回は、この仕事のほかに新宿のとあるスコッチパブでの週1回のライブ演奏の仕事もお世話していただきました。そのパブでは、グローバーワシントンJr.の「ワインライト」や渡辺貞夫などの、いわゆるクロスオーバーまたはフュージョンと呼ばれる曲をコピーし演奏していました。遊びに来た友人などは、「へぇ〜、アドリブ、バリバリですね」と驚いていましたが、すべて書き譜の演奏なので、アドリブとはちょっと違います。音楽教室の運営の補助するバイトもやりました。路上で音楽教室の広告入りのポケットティッシュを配ったりと、自分にできるのだろうかと、最初は戸惑ったものの、今考えれば良い経験でした。
 これらのアルバイトのほかに、某楽器メーカーの派遣で関東近郊の学校へサクソフォーンを教えに行ったり、各地区の演奏会に招待演奏としてサクソフォーン四重奏を主宰したり、某高校の吹奏楽部の強化のためにサクソフォーンを教えたり、などなど時間があえば季節労働のような不安定な仕事に従事していました。これらの仕事は単価が高いものの継続してある訳ではありません。なんとか30歳までには安定した職業につけるようにと人生設計を思い描きました。そんな頃、再び新聞の求人情報で興味をそそる求人広告がありました。それは全日本吹奏楽連盟が事務局職員を募集しているというものです。たった3行ほどの求人広告でしたが、それは私のその後の人生を大きく変えました。(つづく)

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