プッチーニ:『蝶々夫人』
第8章 プッチーニ最後の改訂は出版された?

『蝶々夫人』 ピアノ・ヴォーカル・スコア(1907)
現行版の出版
「1906年秋のパリでの長いリハーサル期間を経て、この過程からほぼ「決定版」と言える稿が生まれました。これを基に、1907年春にはイタリア語による改訂版のヴォーカル・スコアが出版され、夏には総譜も出版されました。細かな修正を除けば、これこそが今日に至るまで『蝶々夫人』がほぼ一貫して上演されてきた版なのです(
ディーター・シックリング著 『蝶々夫人 - 未完のオペラ』 )。」
リコルディ社はこれを第5版として出版し、今日最も頻繁に上演されている版になっています(現行版)。但し、この版数は研究者によって、第4版、第7版などと様々に解釈されています。第1版=初演版、第2版=ブレシア版ということは多くの文献に書かれていて間違いないのですが、第3版以降についてとなると突然口を閉ざすように触れなくなります。それだけプッチーニが繰返し改訂の手を加え(しかもヨーロッパ各地で)、出版社であるリコルディ(作業場はミラノ)の対応に時差が生じるなり、出版社としての都合も多々あったのでしょう。そのためどの研究者もどの版が第何版に当たるかということを明確に捉えることが困難だったと考えられます。
リコルディ社の数え方と代表的な研究者の解釈を、筆者なりに版に名前をつけて整理すると以下のようになるのではないかと思います。
| 版 |
ホプキンソン説 |
版 |
リコルディ社 |
版 |
シックリング説 |
| 1 |
初演版(1904) |
1 |
初演版(1904) |
1 |
初演版(1904) |
| 2 |
ブレシア版(1904) |
2 |
ブレシア版(1904) |
2 |
ブレシア版(1904) |
| 3 |
英国版(1906) |
|
|
3 |
英国版(1906) |
|
|
3 |
北米版(1906) |
4 |
北米版(1906) |
| 4 |
パリ版(1906) |
4 |
パリ版(1906) |
5 |
パリ版1(1906) |
| |
=現行版 |
5 |
現行版(1907) |
6 |
パリ版2(1906-07) |
|
|
|
|
7 |
現行版(1907) |
*本書では改訂の詳細についての説明は省いています。詳しくはディーター・シックリング著「プッチーニの進行中の作品――いわゆる『蝶々夫人』をご参照ください。
*ややこしいことに、シックリングは別のところでパリ版を第3版とも言っています。つまり彼は、表にある1〜7は「版」ではなく、「文献目録」の番号ということなのかもしれません(パリ版が第3版ということは現行版は第4版となります。)。
*「パリ版1」は1906年8月に浄書作業が開始され9月末に完成、「パリ版」2はそれにリハーサル番号を付加して出版されました。
*リコルディの番号付けを詳しく語る資料はないようです。パリに出掛ける前の段階で「既に5つの版を出している」というジュリオ・リコルディの発言は、外国語版もカウントしていると筆者は考えて、それを除外した上で現行版が第5版になるよう分類しました。
カルカーノ版の出現
このようにして現行版の出版が1907年夏までに出版されましたが、シックリングはこれで終わりではなかったと指摘しています。
「しかし、プッチーニがこれらを最終版とみなしていたかどうかについては疑問の余地があります。その疑問を抱かせる資料がリコルディのアーカイヴに所蔵されており、(中略)、表紙に「テアトロ・カルカーノのために行われた改訂」(おそらくプッチーニ自身の筆跡)および「カルカーノ、テナリア氏による改訂、1920
年 1[?] 月 15
日」という書き込みがあります。また、この巻には「マエストロ・プッチーニによるカルカーノ劇場用の改訂」と記された紙片が挟み込まれています。この写しには、より初期の上演のために構想されたと思われる、演出の詳細(舞台配置、照明など)に関するプッチーニ自身の改訂が記録されています。しかしそれに加えて、第1幕の3つの箇所には、写譜師(おそらく「テナーリア氏/マエストロ・テナーリア」)によって書かれた楽譜がページに貼り付けられています。これらの箇所は、以下のカット(削除)部分を復元するものです。
@ [150〜542]:蝶々夫人の親族が登場する場面(1906年のパレルモ公演からカット)
A
[92〜992]:ヤクシデが酒を飲む場面(1905年のミラノ公演および1906年のパレルモ公演からカット);
B[124〜1263]:終盤の二重唱における、アメリカ人の野蛮さに関する蝶々夫人の発言(1906年のパリ公演のリハーサル中にカット)。
したがってプッチーニは、以前カットされた140小節を復活させようと意図していました。これは実質的に、ブレシアでの初演から1907年の「決定版」に至るまでに行われたカットの約半分を元に戻すことを意味しています(ディーター・シックリング著『プッチーニの工房にて〜「蝶々夫人」のいわゆる「版」について』)」。
つまりプッチーニは亡くなる4年前の1920年12月、ミラノのカルカーノ劇場での『蝶々夫人』上演を監修した際、その時の上演に使われたヴォーカル・スコアに、手書きで3つの加筆を行なっていることが判明したということになります。そしてそれらは、ミラノのダル・ヴェルメ劇場(1905年)、パレルモのマッシモ劇場(1906年)、パリ公演のリハーサル(1906年)でカットした部分を復活させることを指示していて、作曲家自身が承認した旨の注記も添えられているのでした。おそらくこの指示通りにカルカーノ劇場で上演されたと考えられます。これを「カルカーノ版」と呼ぶこともあります。また、次のような指摘もあります。
「プッチーニは新しいオペラの題材を探していない時は、他の作品の改訂に多くの時間を費やしていました。1920年、プッチーニはミラノのカルカーノ劇場での公演のために、
『蝶々夫人』
の上演版の変更を承認した可能性があります。リコルディ・アーカイヴにある「カルカーノ版」の楽譜(1908年3月のピアノ編曲に基づく)は、リコルディの高く評価されている社内編集者、マエストロ・ロベルト・テナリアによって作成され、カルカーノ版の表紙には1920年1月12日の日付が記されています。カルカーノ版では、従来の上演版からいくつかの部分がカットされています。ハミング合唱のフレーズが変更され、スカラ座初演で容赦なく嘲笑された夜明けの鳥の歌の伴奏は、間奏曲からカットされています。何よりも、カルカーノ版はブレシア版の3つの部分を復元しており、それらはこの比較台本にも示唆されています(
Opera Lounge )。」
指揮者のリッカルド・シャイーが1996年にスカラ座で『蝶々夫人』を指揮した際、このカルカーノで復活された箇所を含んだ上演を行なっています。カルカーノ版という譜面を使用したというより、初演版から部分的に切り取って現行版に追加して演奏したと考えられます(シャイー自身は「それまでカットされていた6つの箇所」と言っています。)。そのことについて、シャイーは、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューに次のように答えています。
「それは、プッチーニが自らの作品を深く再考していたことを示す、すでに強力な証拠なのです(The New York Times
2016年12月6日付)。」
さらに、ミラノ・スカラ座における初演版による公演で配布されたプログラムにもシャイーのインタビューが掲載されています。
「私はこれまで、この再考――すなわちカットされた部分を復活させるという決定――を、不当な扱いを受けたオリジナル版に対する一種のノスタルジーとして捉えてきました。1904年2月、スカラ座は、後に世界で最も頻繁に上演されるオペラ・ベスト5のひとつとなる傑作の真価を見抜けなかったのです。それは作曲家に甚大な苦痛と、深く不当な屈辱を与えました。そして、その屈辱は当然のことながら、決して忘れ去られることはありませんでした。1世紀以上の時を経てなお、その本来の形で作品を上演することは、劇場による道義的な『過ちを認めること』にほかならないのです(『最初の「蝶々夫人」:作曲家への敬意を込めて リッカルド・シャイーへのインタビュー』
Teatro alla Scala 2016-17)。」
ところが、この改訂を反映した譜面が出版された形跡はなく、プッチーニがリコルディ社にその出版の要請をしたという記録もないようです。1920年といえばパリ版が出版されて14年も経過していることになります。改訂とはいえ、何か新しい音楽を追加したのでもなく、過去に削除した部分を復活させただけという見方をすれば、世界の主要歌劇場で上演され続けている作品の新版を出版するまでもなかろうとリコルディは判断したのかもしれません。その4年後、プッチーニは『蝶々夫人』の譜面について何も言わずに世を去ってしまいます。プッチーニがこのカルカーノ版を最終的な版と見做していたかどうかも、まだまだ手を加えるつもりだったのかどうかもわかっていません。
世界中の歌劇場においてそのレパートリーの中で最も人気のあるオペラの一つとなってから1世紀以上が経った今もなお、作曲家と台本作家が最終的にどのような作品に仕上げようとしていたのかが分からないのがこの『蝶々夫人』というオペラだということになります。『トーランドット』は、作曲の途中で作曲者プッチーニが亡くなってしまったために、未完のオペラとなり、別の作曲家が補筆して完成させていますが、『蝶々夫人』は、オペラの幕が下りるまで書かれているにもかかわらず、初演から15年近くの間、改訂が繰り返されてきました。やはりこの作品も『未完のオペラ』ということになるのではないでしょうか。最後に指揮者リッカルド・シャイーの言葉を添えてこのエッセイを締めくくりたいと思います。
「1904年のミラノ公演や1906年のパレルモ公演に向けた自筆の修正が書き込まれた楽譜や、1920年のカルカーノ劇場での上演時に削除部分を復活させた楽譜も存在します。決定版として固定された版は存在せず、彼の最終的な意図を特定することは困難です。私たちがスカラ座で『蝶々夫人』のオリジナル版を上演することにしたのは、鑑賞や比較、そして新たな洞察を得るための機会を提供したいと考えたからです。
その対象となるのは、主に第1幕におけるおよそ1000小節の音楽です。これらは多くの場合、日本という舞台設定を描写する部分にあたり、もし削除されてしまえば、オペラの劇的構成は著しく弱まってしまいます。例えば、日本の慣習に対するピンカートンの冷笑的な態度は、オリジナル版においてより鮮明に描かれています。しかし、それだけではありません。酔っ払いの叔父であるヤクシデの短いアリアを復活させることには、明確な意図があります。それは、僧侶(ボンゾ)の登場や、若い女性(蝶々夫人)が家族全員から勘当されるという呪わしい場面とは対照的な、軽妙なひとときを生み出すことです。そこには劇的なトーンの変化があります。つまり、最も軽やかで遊び心に満ちた瞬間から、最も悲劇的な場面へと雰囲気が一変するのです。これはドラマの世界へと急激に引き込まれるような展開であり、他の版には見られない要素と言えます。(中略)
しかし、『蝶々夫人』の版選びとなると、話はより複雑で、演奏者にとって大きな課題を突きつけるもののように思われます。というのも、この作品には極めて多種多様な版が存在し、それゆえに「常に未完の進行形(
Work in Progress )」のような性格を帯びているからです。(中略)
版の選択に関しては、プッチーニ研究家のディーター・シックリングの次の見解に全面的に同意します。「現状において私が望むのは、それ以降のあらゆる異版ではなく、初演時の演奏に基づき、細心の注意を払って再構築された『蝶々夫人』の版である」と(『最初の「蝶々夫人」:作曲家への敬意を込めて リッカルド・シャイーへのインタビュー』
Teatro alla Scala 2016-17)。」
このシャイーが引用したディーター・シックリングの言葉の原文を付録に収録しました。これを読むと実はこのエセッイを読む必要がないくらいの内容が非常にわかりやすく書かれています。『蝶々夫人』の演奏に関わる方には是非とも読んでいただきたいと思う次第であります。
『「蝶々夫人」を上演する方法』ディーター・シックリング著
*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。
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