富山・立山・白馬周遊7日間
1999年 9月30日〜10月 6日

唐松岳山頂(2699m)にて

ヒマラヤ・トレッキングの足慣らし
 11月4日から「エベレスト・ビスターリ・トレッキング15日間」のツアーでネパールに行くことにしていました。
タンボチェまでのトレッキングです。
4000mの高所までのぼる、かなり厳しい行程なので、次男が足慣らしに白馬での登山を計画してくれました。

   私は、9月30日の夜行の新幹線に乗って大阪から急行「きたぐに」で富山へ入りました。
室堂で次男と合流し、周囲を散策しました。
久しぶりの高所で、体力的にかなり辛く感じました。
例年になく気温が下がらず、紅葉が遅れ、草紅葉しか見られませんでした。

 次男と別れてひとりで立山・黒部アルペンルートを回り白馬へ着きました。
宿は、「白馬風の子」です。

 再び宿で次男と合流しました。
宿には、年輩の人や家族連れも何人か見受けられました。
宿のオーナーとは4年ぶりの懐かしい再会でした。
そして、次男がはまってしまっているジェラードのお店へ私を連れていってくれました。
息子の評判通りおいしいものでした。
白馬にいる間、そのジェラード屋さんへ毎日通いました。

 いよいよ、訓練の登山です。
10月1日、次男から雨飾山への登山を予告されるが、翌朝起きると白馬の地形や気象を知り尽くしている次男は、唐松岳登山に変更していました。

 最近は全く怠けているので、久しぶりの登山。
唐松岳はかなりな急登が2箇所あり、私は息が切れそうなくらい苦しい難所を歩き通しました。
「えらい、年をとってしもうたね、だてに高齢者呼ばわりはしないね。」と、私の登り方をみて嘆く次男でした。
「もう、これが最後じゃね、もう、来年から連れてこれんわい」と、怒りとも嘆きともとれるような悪態をついていました。
「もう、ええんよ、連れてきてもらわんでも」と、私もやり返しました。

 それでも、登りながらコツをつかんだのか、まあ、まあ、普通の早さにもどり頂上を極めることができました。
頂上は見晴らしがよく、達成感で満足いくものでした。
少し遅れて同宿の仲間がやってきました。

 下りは、若者たちに追い立てられるのが嫌で、ひとりで早めに降りはじめました。
降りる途中、登りでであった中年の男性が声をかけてきました。
「まあ、あなたは、すごい馬力で登りましたね。僕は追いつけませんでしたよ」と、ほめてくれました。
「案外、早かったね」と、後から降りてきた次男がひとこと言いました。
私は、「 まあ、満更でもないな」と、胸の中でこっそり喜んだのでした。

   こうして、車で近場の山や湖に連れていってくれたり、帰り道、露天風呂にも寄ってくれたりと充実した7日間でした。

旅行日程
 9月30日(木)自宅→広島→(新幹線)→新大阪→大阪→(夜行急行きたぐに)→富山 /車中泊
10月 1日(金)富山→(富山地方鉄道)→立山→(ここから立山黒部アルペンルート)→美女平→ 室堂【室堂散策】→大観峰→黒部平→黒部湖→黒部ダム→扇沢→(ここまで立山黒部アルペンルート)→信濃大町→白馬→みそら野 /白馬風の子 泊
10月 2日(土)みそら野→八方→唐松岳登山→八方→白馬散策(松の下湯、イタリアーノ)→みそら野 /白馬風の子 泊
10月 3日(日)みそら野→白馬→糸魚川(吉川鮮魚店:刺身定食)→白馬→みそら野 /白馬風の子 泊
10月 4日(月)みそら野→白馬→小谷温泉(大渚山、鎌池、露天風呂)→白馬→みそら野 /白馬風の子 泊
10月 5日(火)みそら野→白馬(白馬ジャンプ台見学、八方尾根温泉第一郷の湯)→みそら野 /白馬風の子 泊
10月 6日(水)みそら野→白馬→糸魚川→(特急白鳥)→新大阪→(新幹線)→広島→自宅

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