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はじめに |
94年ニュージーランドのミルフォードトラック・トレッキングでアルパインツアーさんにお世話になってから、 我が家にも、定期的に山岳ツアーの案内が届けられるようになった。 その美しいパンフレットに触発され、死ぬまでに一度でいいから世界の最高峰を見ておこうと思うようになった。 しかも、足腰のしっかりして元気な今がチャンスと考え、長男に話すと、 「エベレストもいいけど”アンナプルナBCトレッキング”の方がいいよ。」 「それからエベレストを見に行けばいいと思う。」とアドバイスしてくれた。 私は「そうすれば2度楽しめるな」と考え、アンナプルナBCトレッキングを選んだのであった。 |
トレッキング・マップとネパール・マップ |
トレッキングの行程 |
11月 8日(水):広島→関西国際空港→カトマンズ空港、カトマンズ市内;エベレストホテル泊 11月 9日(木):カトマンズ空港→ポカラ空港→チャンドラコット(約1000m);テント泊 11月10日(金):トレッキング開始、チャンドラコット→ナヤ・サング;バッティ泊(雨) 11月11日(土):ナヤ・サング→チョムロン(1951m);テント泊 11月12日(日):チョムロン→クディ・ガール(2377m)→ドバン(2606m);テント泊 11月13日(月):ドバン→ヒンコ(3170m)→マチャプチャレBC(3703m);テント泊 11月14日(火):マチャプチャレBC→アンナプルナBC(4130m);テント泊 11月15日(水):アンナプルナBC滞在;テント泊 11月16日(木):アンナプルナBC→マチャプチャレBC→ドバン;テント泊 11月17日(金):ドバン→クディ・ガール→チョムロン;テント泊 11月18日(土):チョムロン→ランドルン;テント泊 11月19日(日):ランドルン→オーストラリアン・キャンプ、トレッキング終了;テント泊 11月20日(月):オーストラリアン・キャンプ→ポカラ空港→カトマンズ空港;エベレストホテル泊 11月21日(火):カトマンズ市内・外(バクタプル)観光、カトマンズ空港→上海空港;機中泊 11月22日(水):上海空港→関西国際空港→広島 |
ネパール写真館 |
アンナプルナBCにて1・・・アンナプルナJ峰(8091m)をバックに アンナプルナBCにて2・・・アンナプルナJ峰をバックに同行者と アンナプルナBCにて3・・・アンナプルナサウス(7219m)をバックに、テント場 アンナプルナBCにて4・・・アンナプルナサウス(7219m)をバックに アンナプルナBCにて5・・・マチャプチャレ(右;6993m)をバックに、テント場 大増水のモディ・コーラ・・・折からの大雨でモディ・コーラは大増水。命がけの川渡り バクタプルのゴンパにて・・・バクタプルのゴンパ(チベット仏教の僧院)にて同行者と |
今回のトレッキングについて |
ツアー出発日当日(11/8)、関西空港に集ったメンバーを見ると、まさに中高年の面々。 その内、女性は私を含めて3名で、男性が6名、ツアーリーダー25才の1名であった。 トレッキングは、現地スタッフであるサーダー、シェルパ、コック長、キッチンボーイ、ポーターと、多い時には30名の大人数となる事もあって、とても賑やかであった。 しかし、トレッキングは私にとっては非常に厳しいものとなった。 テント泊は思ったより快適ではあったが、連日・長時間のトレッキングで復路は足が重く、ほとんど前に下ろせない程の辛さを感じた。 しかし、シェルパ達の「ビスターリね、ゆっくりね」のかけ声で気を取り直し、一歩一歩、歩を進めて下山出来た。 今更ながら「一歩一歩、歩みを積み重ねてゆくこと」の大切さを身にしみて感じたのであった。 一方、この時期は降雨のない時期とされていたのに、珍しくというか2日目には終日激しい雨の中を歩いた。 大雨のせいでモディ・コーラは増水しており、私はその川の流れに恐れをなした。 時を同じくして、エベレスト山群では大雪が降り(標高4000m以上)、エベレスト山群のゴーキョ峰付近で大規模な雪崩が起きて、 日本人13名が遭難した事故、は記憶に新しい。 私たちがこの事故を知らされたのは、トレッキングを終えてポカラの空港でカトマンズへのフライトを待つ間であった。 聞くところによると、私たちのパーティは、日本では 邦人行方不明者 としてマスコミに報道されていたらしい。 遭難に遭われた方々のご冥福をお祈りすると同時に、私達の幸運を有り難く思ったのである。 とにかく辛いトレッキングではあったが、気配りの効いたツアーリーダー、心優しいネパーリー、そしてアンナプルナ山群の雄大な景観は心に残った。 今となっては、昨年(95年11月)の辛さは抜け落ち、楽しかったことのみが思い出され、また、ネパールのどこかに行ってみたいと考えるようになった。 |