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旅の始まり |
1993年7月15日。私は、早朝に家を出て新幹線に乗り、名古屋を経由して白馬駅まで行き、
猿倉行きのバズを1時間待って乗り込み、ほぼ1時間かかって猿倉にたどり着きました。 猿倉山荘に1泊して翌朝、午前6時12分着のバスを待って次男と合流する予定。 |
旅行日程 |
7月15日(木): | 広島(6:50)→(9:53)名古屋(10:00)→(12:16)松本(12:48)→(13:53)白馬(15:15)→(15:42)猿倉 /村営猿倉荘 泊 |
7月16日(金): | 猿倉→白馬尻→白馬大雪渓→蕨平→お花畑→白馬岳 /白馬山荘 泊 |
7月17日(土): | 白馬山荘→白馬岳→三国境→小蓮華山→白馬大池→天狗原→栂池自然園→白馬 /白馬風の子 泊 |
7月18日(日): | 白馬(14:28)→(18:05)名古屋(18:50)→(19:33)京都→(22:12)広島 |
山行記録 |
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日記から |
7月16日 15:30 白馬岳 2933m。 あの白馬大雪渓を登り、お花畑そして小雪渓、疲れてしまった。 小休憩ののち、白馬岳へ。帰途次男がたててくれた紅茶がおいしかった。パン一切れ。 白馬岳より下山、白馬山荘にて記す。 7月17日 昨夜はなかなか寝付けられず、うとうと。 夜8時に満天の星を白馬岳で次男と眺める。 夏の大三角形、白鳥座のデネブ、こと座のベガ(おりひめ)鷲座のアルタイル(ひこ星)。 ペガサス、さそり座、久々に北斗七星。天の川。 あふれるばかりの星を手ですくいたいくらい。 次男は流れ星を次々見つけている。私はなかなか見つからない。 あの、白馬岳山頂のガレキに寝ころび、ややあきらめ顔。 すると、どうだろう!。 す―――――と、長い尾をひいて星が流れていった。本当に感動もの。 今日の出発は早かった。 隣りに寝ていた次男が「3時だ、もう起きよう」と、言って炊事場へ行き紅茶を湧かしくれ、バナナとパンを食べた。 そして、3時50分宿を出る。次男は山頂で写真を撮る。 こちらは、ハイマツの陰で「お花摘み」、仕方がない。 白馬大池の雪渓は恐かった。 なにもかもが初めての白馬岳登山でした。 私がスイス行きを決めてから、心配した次男がこの計画を立ててくれたのです。 したがって、殆ど白紙状態のまま、あの大雪渓を登ろうというのであるから驚きです。 「たまには立ち止まって景色を眺めんさい」 「上から転がって来る石ころに気をつけるんよ」などと、注意をしてくれるのですが、とんでもない。 一度振り返って見たところ、急な斜面が下方まで延びて、今にも自分が転がりそうな感覚におそわれ、びびってしまったのです。 石ころが直撃しようが、どうしようが全く気持ちの余裕がないくらい必死の面もちで登りました。 白馬大池の雪渓が例年より多く残っていたようです。 人ひとりがやっと通れるくらいの池すれすれの踏み後しかないところを、右手には深い水色を湛えた神秘な池。 ちょっとでも、バランスを崩したらドボンと落ちそうでした。 更に追い打ちを掛けるように 「もし、落ちても助けてあげられんけんね、落ちたら最後よ!」と、言うことば。 やっと、その雪渓をわたり終えたときは背中に冷や汗をかいていました。 それほど緊張したことは後にも先にもないくらいの体験でした。 と、こんな具合に次男は、自然と向きあうところでは、決して手を貸してくれません。 自力でその困難を乗り越えるまで待つのです。 後先になりますが、やっとの思いで登った白馬山頂で思わず万歳をしました。 なんとも、言えぬ達成感。辛いことの後の充実感は、その後も変わりなく私を魅了してくれました。 この喜びを与えてくれた息子に感謝したのはいうまでもありません。 |