旅のくりごと

2004年04月02日(金)「千客万来・その2」
 先月末、フィンランドで知人となったNさんが、所用があって当地を訪れたついでに「是非お会いしたい」と、私を訪ねてくれました。 近畿に住む彼女はとても好奇心の強い人で、私以上と思われる楽しい女性で、すっかり意気投合してしまいました。

 彼女が電車に乗りたがったので、U港まで行ってみることにしました。私がそこを訪れるのは何十年ぶりかも知れません。 ちょっとわびしくなった街並みを車窓から眺めては、彼女に解説。 新装なったH港と建物。そこには乗船を待つ人々の姿も見受けられました。

 私たちは2階に上がり、夕暮れ間近な瀬戸内海と重なり合う島々が、おだやかな波に夕日がきれいに映えていました。 その光景がNさんには、とても新鮮に見えたようです。

 私が海辺で育った子どもの頃のことも彼女に話しました。 彼女のお陰で、私も久しぶりに海を身近に眺め、想い出に浸ることができました。

2004年03月08日(月)「千客万来」
 私が旅で出会った仲間たちは、大勢となりました。そんな中、昨年暮れから今年2月まで3人も私を尋ねてくれました。 「旅の途中で」とか、「牡蛎を食べた〜い」とか、「いっぱい話したいことがある〜ぅ」などなど。 そんな旅仲間と時を忘れて話し込みました。

 旅人とは、毎年便りがある人もいれば、全く音信が途切れてしまった人から何年ぶりかに「覚えていますか?」、 「お元気ですか?」などと、懐かしい便りをくれる人もいます。その形は千差万別です。

 広く言えば一期一会の人も多く、それでいて心に残る人もたくさんいます。 どちらかと言えばひとり旅での方が、たくさんの人と出会えるチャンスが多いでしょう。

 そう思うと、苦労は多いものの、ひとり旅をしてみたいな〜ぁと考えているこの頃です。

2004年03月06日(土)「オーロラ・ツアーの仲間から」
 昨日も、その仲間から写真を入れた便りが届きました。 参加の皆さんからは、一応にオーロラが見えなかった無念さはあるものの、いい旅だったとその思いを述べていました。

 写真では、みんな笑顔が弾けるばかりに写っています。楽しさがこぼれてきそうなくらいの喜びようが感じられました。 『楽しい旅を思い出しながら写真をどうぞ』と手紙はしめくくられていました。

 「旅は出会いである」。本当にそう思います。

2004年03月03日(水)「夢で叶えてあげましょう」
 サーリセルカに到着して翌日のことです。 眠っているのか起きているのか分からないような状態で、オーロラを待ちわびていた私は、美しいオーロラの出現した夢を見ました。 夢の中で、これは素晴らしい!これを誰かに伝えてあげなくちゃと焦る私。そうなんです。

 シングル組の私たちは、オーロラ観測に不利です。誰彼となく、情報ネットを張ることにしていました。 そうこうしているうちに夢の中で「夢」だと認識した私がいました。 ほんの一瞬でしたが、今でも夢見る心地です。

2004年02月27日(金)「寒い国で、しもやけが治りました」
 出発前に右足薬指がかゆいので見ると、しもやけができていました。 そしてフィンランドへ着いてからふと気がつくと、かゆみが消え、すっかりしもやけが治っていました。

 「これって変よね」と思ったけれど、フィンランドの快適な室内空間が治してくれたようです。 なにしろ、室内は木製の床、バスルームは床暖房で、室温は23度から24度に設定してあるので、まさに我が家より快適な生活空間です。

 我が家へ帰ってからは、しもやけ予防に2枚のソックスをはくようにしています。

2004年02月26日(木)「ちなみに凍った川の氷りの厚さは?」
 19日のラジオで報じられていた北海道でのことです。別海の風蓮湖にワカサギ釣りに来た男性が車で乗り入れたところ、氷が割れて車ごと転落。 幸い水深2メートルと浅かったので車から脱出して、車の上で救助を待っていたそうです。 例年なら氷りの厚さが30センチなのに、今年は温暖で10センチしかなかったことが原因ということでした。

 そうすると、フィンランドも同様の厚さだったのでしょう。流れる川のことですから、まだまだ、厚さはあるのかも知れません。 どれくらいの氷の厚みなら、人間が遊んだり仕事をしたりしても耐えられるのかと、いう私の疑問がこれで解けました。

2004年02月25日(水)「川が凍る」
 凍った川を見たことは私の人生では初めてのような気がします。 ロバニエミはラップランドの首都で、ケミ川とオーナス川の合流地点に開けた町です。 交通、通信の要衝、行政の中心地となっています。’97年に訪れた時とは、町はすっかり様相を変えてきれいになっていました。 ユースホステル近くの、このオーナス川の湖畔まで認識していませんでした。

 その川が凍っていたのです。スノーモービルにうち興じている人もいました。 観光名所になっているローソク橋の下流では、危険地域もあるので(立ち入り禁止?)立て札が凍った川の中に立ててありました。

 そんなところでしたが、ふと、いたずら気分と、好奇心からこの川の氷の上に立ってみたくなりました。 しかし、直ぐ思いとどまりました。旅に出て解放気分に浸っていたのでしょう。でも、体験してみたかったな〜。

2004年02月24日(火)「光、満ちあふれて」
 暗い暗いフィンランドから直航便にて関西空港に降り、そして電車に乗りました。 車窓から眺める景色の、なんと輝いて見えることか!、同じ2月だというのに!。

 あらためて日本の自然の美しさに見とれてしまいました。 確かにフィンランドは建造物や街並みは、ごてごてしないで調和がとれていて美しいのです。そして、優しいのです。

 でも、やっぱり私は生まれ育った私たちの国が大好きです。

2004年02月23日(月)「あっ、人がいた」
 温暖化で温かいとは言いつつも、ここはフィンランドです。どこまで行っても雪、雪、雪の大平原です。 サーリセルカから専用バスに乗ってロバニエミまで3時間、雪景色の中をひた走りに走りました。 見えてくる物は、どこまでも続く雪をかぶった針葉樹の森です。

 人が住む気配がない厳しい平原でした。 「あっ、人がいた。トナカイがいたよ」という声で、「どこどこ?」と、そんな森の中に目をやる人。 時々現れる小さな集落をみては、「こんなところでは、さぞかし不自由だろうね」と同情しきりの皆さんでした。

2004年02月21日(土)「路上で出会った中年女性」
 私は、宿泊のホテルをひとりで出て、ヘルシンキ中央駅へ向かおうとしました。 ツアーでは専用自動車で移動をしているので、方向感覚が掴めないでいました。

 と、丁度向かい側から中年女性が足早に通りかかりました。仕事を終え帰宅を急いでいる人を止めるのには、ちょっと勇気がいりました。
「ヘルシンキ中央駅はどちらですか?」と尋ねる私。
「あちらよ」と女性は歩いてきた方向を振り向いて指さしました。
「そうですか、ありがとう」とお礼をいって、すれ違いに別れました。

 と、どうでしょう。彼女は心配だったのか、追いかけてきて私に同伴してくれました。
「私は日本人です」というと彼女も答えて、
「おう、そうなの」と握手を求められました。

 このようにして、駅周辺の説明を受けながら会話は進みました。 「駅はあそこよ」と指さして、私はここからバスに乗るわという動作をして、お互いが別れ際に手を振り合いました。 彼女はひと駅戻って私を案内してくれたようでした。

 フィンランドの地で出会った、この国の人の優しさに触れたひとときでした。 いつものことですが、私は片言の英語でおしゃべりをしています。心は十分、通じているようですよ。

2004年02月20日(金)「地球温暖化はここにも」
 フィンランドも同様に、温暖化が進んで、今年は特に暖かいようです。 サーリセルカで、丘以外では気温を確認していませんが、ロバニエミではマイナス9度を町の広告塔が示していました。 ヘルシンキでは、マイナス4度とか言われて、添乗員のTさんも「今年は暖かいんですよ」と話していました。

 それでも、私のように温暖な地方に住む者にとっては、結構寒さは厳しいものでした。 その異なった気温と風景が新鮮で、再三再四、戸外へと繰り出し大喜びしていました。

2004年02月18日(水)「幸運に恵まれた人」
 私は、サーリセルカではゆっくり起きて8時半頃、朝食を取りにレストランへ出かけていました。 皆さんは、早めに朝食をすませていたようで、かなりすいていました。

 そんな中、ひとりで朝食を取っている中年の男性に「相席でもいいですか?」と尋ねて、その前の席に座りました。 当然ツアーの仲間のひとりだと思っていました。

「 ぼくは、20日と21日に素晴らしいオーロラを見ましたよ。空を覆うばかりの素晴らしいものでした。」と、ひとり旅していて、 これから更に、パリで娘さんと出会うことを話してくれました。

 どうやら私たちは貧乏くじを引いたようです。ちょっぴり幸運に恵まれた人もいたみたいですが、、、。

2004年02月15日(日)「我らがオーロラ観測隊は4日目にして・・・」
 私たち40人はなかなか「一堂に会せず」、顔さえ覚つかない日々でした。出会う人とは何度も出会っているのにです。 「みなさん、どこに消えたのでしょうね?」と、その不思議を話し合っていました。

 これは食事を一緒に取っていない事が原因だと、やっと分かりました。 しかもサーリセルカの宿(ホリディー・クラブ)は、ドアーをいくつもいくつも超えて行く端っこに、私たちシングル組はおかれていたのですから。 大げさに言えば1キロはあるかとさえ思えたほどでした。

 それが、やっとロバニエミのシティホテルで会食できた訳です。 それさえも、ローソクの明かりくらいの暗がりの中での食事でしたから、皆さんとの交流もあまり活発ではなかったようです。

2004年02月14日(土)「あれは、もしかしてオーロラ?」
 寝る間を惜しんで、夜空を観察したわけですが、私の部屋から南側に位置するところから、白いゆらゆらした何ものかが見えます。 目をこらして観察していると、いろいろ形を変化させて、立ち上っているではありませんか!、 思わず「これはオーロラだ、感動したぞ」と、思わず心の中で叫びました。

 ところがその白い物体は、一向にその位置から離れません。 先ずは確かめてみようと、急いで「完全武装」をして、その場所に近づいて見ました。

 な、な、なんと、それは宿の大きな煙突から立ち上っている湯気だったのです。がっかりして、一度に、力が抜けていってしまいました。

2004年02月12日(木)「オーロラ観測のための完全武装」
 室内は24度、戸外は零下十何度の世界です。私が持参した防寒服は、耳まで隠れるフリースの帽子、フリースの手袋、化学繊維のマフラー、 インナーソックスと厚手の毛のソックス、即乾製の肌着、中綿入りジャケット、ダウンコート、スパッツ、ウールとポリエステル混紡パンツ、 ウインドウ・ブレーカーのパンツ、靴はくるぶしを覆うもので、ホッカイロを靴底に入れる。

 これだけ身につけて出かけるのには手間がかかりました。この格好で室内にいようものなら汗だくになります。ほんとうに頑張りました。

2004年02月11日(水)「ローソクの明かり」
 ここフィンランドでは、12月にいたっては日照時間が2時間だとか、1月末のことです。 まだまだ一日中、薄暗い感じの日が続いていました。朝11時頃でさえ、夜が明けた感じがしません。午後3時頃には早々に薄暗くなって来ます。 本当に、一日中夜という感じを受けました。そんな夜を楽しく過ごそうと、フィンランドの人たちは考えているのでしょう。

 スーパーでもデパートでもローソク売り場は、かなりの場所を占めていました。見ていると、様々な形のローソクが並べられていました。 それぞれがどんな明かりを作り出すのだろうかと思いを馳せながら眺めました。

 今回、関西学院大のワンダーフォーゲル部のパーティー14人が遭難した事件で、 救出までの間に「ローソクを燃やせ」とのアドバイスがあったそうです。これも、癒しの効果があっての事らしいです。

2004年02月10日(火)「夜空を見つめた日々」
 今まで、こんなに空を見上げたことがあったでしょうか!。 ゆっくりと時間が過ぎていく昼間に反して、夜9時頃から気分がそわそわしてきます。 「星は出ていないか?」「何か動いているものが見えないか!」、室内の明かりを消して、 部屋のカーテンをいっぱいに開けたままでベッドに横たわります。

 時々窓に視線を移しては、明るくなるのをじっと待つのです。時には、ベッドから降りて窓辺まで行き空を見上げます。 そんな繰り返しばかりしていました。

 たとえ夜中の12時であろうと、1時であろうとかまいません。 あちこちのドアーの開閉の音と足音が聞こえてくると、私も完全武装をして戸外へ出てみるのです。 こんなに寒い夜空なのに、オーロラを見たいばかりに、何度も何度もこの行動を繰り返しました。

2004年02月09日(月)「ケガをしてはいけない。病気になってもいけない。」
 長い航空路を経て、やっとイバロ空港に到着。 それから専用バスで日本人スタッフがいるサーリセルカの「ホリディー・クラブ」の宿に向かいました。その車中でのことです。

 「サーリセルカは人口200人足らずの町というか村です。ここには医者がいません。 どうかケガをしないように、病気にならないように心がけて下さい。 イバロかロバニエミ(イバロから約300キロ)まで、行かないと病院がありませんから、、、。」とその日本人スタッフが言いました。

 やれやれ、これは大変なところに来たなと、とても緊張したのでした。 幸い、私は大丈夫でしたが、ツアーの仲間がハスキー・サファリでケガをして、イバロ(約130キロ)の病院に行き治療を受けました。 大変な道のりでもあり、幸い医者もいて治療を受けて事なきを得たようです。

2004年02月07日(土)「オーロラ観測隊40名」
 タイトルは「心揺さぶる神秘の光・オーロラ感動紀行」、皆さんは心弾ませてフィンランド直行便に乗り込みました。 「オーロラは見られるのでしょうかね」、「人づてに聞いた話では、見られなかったと言う人が多いらしいですよ」、 「いいえ、必ず見られます!」、「そうです。そうです。私たちは必ず見るのです」と、 確信に満ちたような気持ちさえ抱いて、お互いが確かめあっていました。

 観測地サーリセルカに到着した夜9時ころ、淡い光を天空で見かけたと言う人が現れました。 すわ出現とその情報を手に入れた人の何人か、私も含めて寒空の戸外へ何度か出て眺めましたが、空振りに終わりました。

 その後、一度も私たち観測隊員の頭上にオーロラは輝くことはありませんでした。

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