オーロラこぼれ話

2005年01月25日(火)「大自然に包まれて」
 アンカレッジやフェアバンクスは、ワイアルドなアラスカをイメージしていた私をちょっとがっかりさせました。 それでもやはり自然はいっぱいでした。

 チナ・ホットスプリングスへの移動中、これから暮れようとするグレイ色を帯びた青い空や真っ白に雪をかぶった樹林帯、 そして夜明けのオレンジ色の雲、真っ青で、どこまでも澄みわたった空の色、そして夜空に瞬く星の群れ、すべてに美しい自然の営みを感じました。

 帰国してからも、なぜだか朝日や夕焼けを眺めたり、星空を見上げたり、山や川などの風景にうっとりとさせられ、 見つめる機会が多くなったような気がします。

 ある朝も山の切れ目から立ち上る太陽を見つけて輝く日の光にうっとり、デジカメにその姿を写し取りました。

2005年01月24日(月)「アラスカより寒い我が家」
 帰国直後の事です。「寒いっ、寒いっ」を連発する私がおりました。何故こんなに寒いのだろうと考えていると、やっとその原因に思い当たりました。

 そうなんです、我が家は全館暖房をしていませんでした。必要な時、必要な場所だけ暖房をと、心がけているのですから寒いのは当たり前のことです。

 私の体もその事をよく理解(?)してくれているので1〜2日たつと、もう、元通りになっていました。 そこにはいっぱい着込んだいつもの私がおりました。

2005年01月22日(土)「オーロラのぐち」
 帰国後JTBへ出かけ、2度も空振りに終わった事を伝えました。 「今度はイエローナイフはいかがですか」と係の人にいわれました。 ほんとにそこは確実に出てくれるのだろうかと疑問ですが、オーロラと出合った感動を伝えてくれた写真家Nさんから、 今年も年賀状が届き「イエローナイフがおすすめですよ」と書いてありました。 やっぱりそこなのかと、気持ちが動いています。 なんとかしてオーロラと出会いたい!

2005年01月21日(金)「美しいマッキンリーに遇えて」
 フェアバンクス空港のチェックインカウンターで「マッキンリーが見える窓側に席をお取りしました」と親切な係の人が配慮してくれました。 やがて右手に朝日を受けた、それはそれは見事なまでに陰影をつけた真っ白な山塊が見えてきました。

 上空を飛んでいる私たちには、頂上もまるで手に取るような近さです。ここで、あの有名な植村直己さんが亡くなられたのだなと、感慨もひとしお。

 飛行機はアラスカの上空をゆっくり飛んでいる。私とNさんは、ずうといつまでもその山容のの美しさに見とれていました。 「オーロラは見せてくれなかったけれど、これであいこにしてあげるわ」とふたりはつぶやきました。

2005年01月20日(木)「チナ・ホットスプリングスでの過ごし方」
 ホテルは新館といわれるほどあって、全館暖房、バスタブもあり、部屋も広くてとても快適でした。 私たちは昼間は温泉に浸かり、読書やおしゃべりをして過ごし、時々戸外へ出て写真を撮ったりしました。昼間はあっという間に暗くなります。 日照時間は多分3〜4時間ではないでしょうか。

 そして夜10時になると、装備してこの部屋からオーロラ観測の待機所まで行き、私たちの仕事が始まるのです。 5時間そこに詰めていてオーロラ観賞をし、私たちの部屋に戻り就寝。何故かぐっすり眠れ、昼12時近くに起床です。

 こうのような生活をして過ごしたわけですが帰国後、今回は全く時差呆けを感じることもなく、そしてあの寒さの落差から体調を崩すこともなく元気なのです。 不思議な気持ちになりましたが、原因は多分、夜明けまで起きて昼間に起床というリズムが、日本時間とほぼ同じだったからではないかと考えています。

2005年01月20日(木)「“やまや”で日本料理」
 出かける前に夏のアラスカを旅した次男にアンカレッジの料理店を教えて貰っていました。日本料理では「やまや」がいいと。 「たった、1週間で、なんで日本料理なの!」とうそぶいた私でしたが、今回だけはバターやチーズの匂いを嗅ぐだけで胸がつかえてきそうでした。

 アンカレッジに着いた早々「やまや」へ食事に行きました。 スモークサーモン、ホタテの串焼き、数の子コンブ、ご飯とみそ汁のなんと美味しかったこと!適量でまさに日本料理のよさを実感しました。 年齢のせいか、こんなに短い期間で日本食を恋しく思ったことはありません。新幹線の車中でも海苔巻きのあられを買って食べました。

2005年01月19日(水)「山ほどの料理」
 木製のゲートをくぐると、チナ・ホットスプリングス・ワールドになります。宿舎や事務所、従業員の宿泊施設があるだけの小さな村?です。 陸の孤島とはこのことを言うのでしょう。アメリカ国旗が吊された建物には、いわゆるフロントと、レストランや小さな土産物店があります。 そうそう温泉の入り口にも自動販売機がありました。そんなことで、食事はレストランか軽食が取れるオーロラ待機所だけです。

 選択肢のないところで仕方なく大量の料理攻めにあいました。 日本人スタッフが仕切っているようなのに日本語メニューや料理に一工夫してもらいたいものだと思いました。

2005年01月18日(火)「露天温泉は最高(効用)」
『静水圧』血液の流れもよくなり、疲れも取れる。
『温熱』血液の循環と新陳代謝を活発にさせるうえに、自律神経の働きを促す。
『洗浄』十分に湯につかって十分に毛穴が開いたら汚れもすっかり落ちる。
『浮力』首までつかれば体重は10分の1に、重力から自由に解き放たれ筋肉もリラックスできる。
『リラックス』水面を眺めるだけでもぼーっと心が安らぐ、五感のすべてをゆるめ心身ともに癒される。

 などなどと風呂と温泉の効果を分析した記事を読みました。なるほど、なるほど「極楽、極楽」と感じたのにも訳がありました。 『 』内はTarzan・マガジンハウス発行433号から引用

2005年01月17日(月)「露天温泉は最高(体験記)」
 「寒、寒、寒いっ」を連発しながら水着のまま小走りに、足下にはむしろが敷かれていますが、勿論びしゃびしゃのシャーベット状です。これも冷たい! まるで冷凍庫の中を走っている感じです。でも、あの至福のいっときを頭に描くと「そんなことどうでもいいわ」と。

 こんな寒い思いをして突っ込んで温泉の中に入ると思わず「超、気持ちええ!」(北島康介選手)と歓声を上げてしまいます。 入る時間帯にもよりますが、あたりは真っ暗だったり、薄ぼんやりと湯煙が立ち上る中だったり、しんしんと降る雪の中だったりと様々でした。 いずれにしても頭髪はパキパキに氷っています。

 それから、また楽しいのが、裸のつきあいとでもいうのでしょうか、浸かっているいろんな国々の人たちとおしゃべりします。 どんな言葉ですって、もう笑顔と簡単な英語とで溶け合うのですから素敵でしょう。温泉の中で笑い転げましたよ!本当です。

2005年01月16日(日)「露天温泉は最高(こんな温泉)」
 露天温泉の様子をもう少し付け加えましょう。温泉の受付でルームキーを見せてバスタオルを受け取り更衣室へ、 水着に着替えると大小の室内プールがあるところへ出ます。いずれもぬるめで体は温まりません。

 そして、ドアーを開けるとすぐ出たところの右手に小さな温泉があり、まっすぐに5メートル位進むと大きな温泉が見えます。 更に右に折れて5メートル位のスロープを下ると、そこはもう天国です。

 中央に岩山が突き出ているので、そこで2〜3人たむろすることが出来ます。温泉の下地は自然のままで砂地ですが、ぬるっとした足触りです。 これがまた心地よいのです。広さはどれくらいか分かりかねますが、かなり大きくて25メートルプール大はあるように思えました。

2005年01月14日(金)「露天温泉は最高」
 こんなに寒いところなのに、水着だけでどうしてあそこにたどり着けるのだろう?せいぜい話の種に一度だけでも体験しておこうと思って、 思い切って肌を刺すような空気の中を10メートル突っ走り温泉に飛び込みました。

 それはそれは温かく、先ほどの寒さはどこかへ吹っ飛んでいきました。 源泉の温度は70度といわれていますが、流れこんでくる熱い湯を自分の手でかき混ぜると、ほどよい温かさになります。 お客さんもわずかなので泳いだりもしました。

2005年01月12日(水)「不思議な温度計」
 何故か現地には戸外の温度を測る温度計がありませんでした。 しかしオーロラ観測の待機所の入り口に電気でライトアップされた温度計がつるされているのです。

 最初それを見たとき「ええっ、マイナス20℃だ」と、思ってよく見るとプラス20℃なのです。室温なんか大体見当がつきます。 知りたいのは外気温なのに!聞くのも面倒で聞いていません。そう、謎のままです。

2005年01月11日(火)「オーロラを見ましたよ!」
 アメリカ在住の若夫婦にメールアドレスを知らせておいたところ、「あの翌日素晴らしいオーロラを見ました」と、 細々とその出現の様子を知らせてくれました。オーロラチャンスは4日もあったのに、彼らは2日目にして出遇えたのです。 彼らの幸運を喜ぶと共に私たちの不運もかみしめました。

2005年01月10日(月)「最高のロケーションなのに」
 滞在最後の日になって、空はどこまでも青く澄み渡り星は輝く、これならオーロラは出てくれるだろうと期待して明け方4時まで (私は3時まで)待ちましたが、無常にもオーロラは現れてくくれませんでした。

 当日は新たに日本人が6人加わり総勢8名となりました。全員むなしく寝床につきました。

2005年01月09日(日)「星さんはええから、オーロラさんでて出てきてぃ〜やぁ」
 空に向かって大声で叫ぶ関西人のNさん、「遠くからおばちゃんらふたりが来てるんや、オーロラさん出てきてぃ〜やぁ、たのむで」 と彼女は更に続けます。「ほんと、ほんと」と私は笑いながら相づちを打ちます。

 じっと見つめる空には、キラキラと輝く美しい星たち。残念ながら日頃星座に興味のない私たちには、北斗七星と天の川くらいしか判別できません。 それでも流れ星を見つけると「流れ星だ!」と大喜びする私たちでしたけれど、本命はオーロラです。

 雪がしんしんと降り続く夜もありました。 そんな夜でも起きて窓越しに空を見つめ月影を見ると、急いで防寒服を着用していそいそと出かけるのでした。

2005年01月08日(土)「出てこい、出てこいオーロラ出てこい」
 私たちは到着のその夜から観測を始めました。午後10時から明け方3時まで完全武装をして、オーロラ待機所を出たり入ったりしながら見張ります。 今年は暖冬だと言いつつも、さすが夜はかなり冷えてきます。

 私は観察用(レンタル)の衣服を着込んでいます。狼の毛で出来ているという代物です。靴は自分のもので足首まで覆ったものです。 靴用カイロを敷いて履いていますが、それでも時間が経過するにつれて、寒さがじわりじわりと背や足に忍び寄ります。 急いで待機所に入り暖を取る。この繰り返しでした。

2005年01月07日(金)「アクティビティー」
 フィンランドでもそうでしたが、ここアラスカでも昼間のあいた時間に、いろいろな「アクティビティー」が用意されています。 犬ぞり、スノーモービル、かんじき歩き、クロスカントリーなど、中でも軽飛行機でアラスカのイヌイットの村を見学するものもありました。 ちょっと興味はあったのですが、結構お高いのです。

 いずれにしても目的は「オーロラを見る」でしたから、そのために昼間十分に休息を取ろうと参加しませんでした。

2005年01月06日(木)「ふたりでもツアーは楽々」
 旅慣れたふたりには、要所要所で出迎えてくれる係員に案内されて、何一つ困ることはありませんでした。 添乗員や他の旅行者の行動に邪魔されることもなく、気ままに活動が出来て、航空券や宿、移動の心配もなく安心して旅が出来るのもいいなと思いました。

 アメリカ勤務をしているという、日本の会社員の若夫婦が「アメリカからマチュピチュへ観光したとき、個人で手配をしたところ30万円もかかりました。 日本からもっと安い金額で南米各地を観光旅行できますから、ツアーが安上がりかも知れません」と話していました。

2005年01月05日(水)「ふたり旅」
 今年初めにフィンランドへオーロラを見に行ってから友人となったNさんが誘ってくれたので、急遽ツアーに参加することに決めました。 関空に集合してみると、参加者は彼女とたったふたりでした。高齢者のおんなふたりしか、物見高い人間はいなかったようです。

 それこそ新館だと案内された建物には、たったふたりだけの宿泊客で貸し切り状態でした。 「発電機、水道設備はすべて自給自足です。」と胸を張る現地日本人スタッフ、本当に居心地のよい設備でした。

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