旅のこぼれ話

2003年04月05日(土)「サンライズとサンセット」
 いつ頃からでしょう、なぜか日の入りを眺めると寂しい気持ちになるようになりました。 ところがモロッコの砂漠地帯をバスで駆け抜けることが多く、その車窓からさえぎるもののない大地に、 沈む太陽を360度ぐるりと何度見渡せたことでしょう。

 不思議と寂寥感はなく、ただただその美しさに見とれていました。同じ日の入りなのに!違う感じ方をするはなぜなのでしょう? 自分でも答えが分かりません。もちろんサンライズは心を高揚させてくれます。これは日本でも同様です。

2003年03月09日(日)「ムハンマド6世」
 モロッコを紹介するとき現国王をハッサン2世と書きましたが間違いでした。 1999年にムハンマド6世が即位しました。前国王ほどカリスマ性はないけれど、ムハンマド6世は国民に親しまれているということです。 国民に愛され何かやってくれそうだと国民からも期待されているようです。

2003年03月07日(金)「アラブ首長国連邦」
 この度モロッコへのフライトの途中、デュバイで乗り換えることになっていました。 「デュバイってどこにあるんだ?」と私も思うし娘も関心を持ったようです。 私は早速パソコンで調べ、娘は「ほどなくしてテレビ放送を視て分かったよ」と伝えてくれました。

 「アラブ首長国連邦」であることを知った私でしたが、以前トルコに行く途中一度着陸したことがありました。 その時搭乗してきた人々が、ターバンを巻いたり白い民族衣装で現れたので私はてっきりアフリカだと思っていました。

 昨日のニュースによると「フセイン退陣」にアラブ首長国連邦が提案しクエート、サウジアラビアが賛成したと報じられていました。 ちょっと関心を持った私です。

2003年03月05日(水)「自給率」
 『日本の食料自給率は年々低下し01年度で40%。自給率アップに向けて、農水省は00年、 10年を目標に45%まで引き上げる方針を打ち出した。だが、大幅な自給率上昇の要因もなく、実現は微妙だ。』 と心配な記事が本日の朝日新聞に載っていました。

 モロッコの自給率100%を聞いて本当に心配しています。日本の食料自給率40%では、将来、 世界規模で作物の不作が起こったらどうなるのだろう。考えるだけでも恐ろしい。 食糧不足を体験した私たち世代は身にしみて覚えていることでしょう。

 農水省も考えてはいるようですが根本的な改革が必要なのではないかと素人ながら考えています。『』内は朝日新聞記事から。

2003年03月05日(水)「エミレーツ航空クルーと出会う」
 なんとモロッコからの帰宅途中、新幹線の中でエミレーツ航空のクルーと出会いました。 しかも隣の席。

「モロッコへ行かれたのですか?エミレーツ航空でしたか?」と質問を受けました。
「私はそのエミレーツの乗務員です。機内のサービスは如何でしたか?」とクルー。
「満足でしたよ」と私。
「今日、私はエコノミーの勤務でなかったのでお会いできませんでしたね」とクルー。

 そして乗務員ならではの、いろんな楽しい話を沢山してもらいました。
「デュバイへはいいところですよ、一度来てみて下さい」とデュバイ在住の彼女は誘ってくれました。
「いつか行ってみたいです」なんて私は気軽に答えていました。

 はてさてヨーロッパ行きの途中、行く手もあるかなと考えたりしています。

2003年03月05日(水)「フセイン退陣と国外退去」
 昨日に引き続き小さな記事を見つけました。
『英米による攻撃回避を図るためイラクのフセイン大統領の退陣と国外退去を求めるとするアラブ首長国連邦(UAE)の提案』 を湾岸諸国からの支持を受け、UAEはイスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議に同案を提案する構えだ。』

 「デュバイ」からまたひとつ、小さな記事にも目がとまりました。『』は本日の朝日新聞記事から。 

2003年02月25日(火)「モロッコの砂漠地帯」
 昨夜『地球・ふしぎ大自然』(NHK)を視聴しました。やはり、あの砂漠地帯をバスで駆けめぐりその殺伐とした大地を眺め、 そこに人々が住んでいることに大きな感動を覚えたのでした。

 『地球・ふしぎ大自然』ではサハラ砂漠に住むというワニを探す取材でしたが、 こんなところにもと思われる動植物が懸命に生きている姿が紹介されていて、とても興味を持ちました。

 『数千年前に水の豊かな緑の楽園であったことはあまり知られていない』と語られていましたが、 私たちがモロッコを訪れたとき“アトラス杉”を紹介されその豊かな自然があったことの名残だと聞かされました。 モロッコは4000mを超えるアトラス山脈があるので、北西部はようやく砂漠化を免れているとも言われています。

 モロッコの旅のあとから次々と関連のある放送が目につきます。 ひとつの旅を通していろんなつながりのある事柄へ興味が沸いてきて楽しんでいます。

 「やっぱり旅はいいな」。『』内は朝日新聞テレビ紹介欄より。

2003年02月16日(日)「モロッコはほんとに遠かった」
 私はモロッコが遠いのは覚悟してはいましたけれど、想像以上に遠かったですね。 当初どれくらい飛行機に乗っているのだろうと地図を広げたり、フライト時間を計算したりしてはじき出したのが14時間。 ところが実際は20時間余りのフライトでした。その間エコノミーシートに座っているのは辛かったです。

 それでも中東のドバイに降りて2時間、乗り換えを待つ間少しは体調を整えることが出来ましたけれど。 そのドバイまでが11時間30分。やれやれと思っているとドバイから更に9時間飛ばなくてはいけなかったのです。

 日本からドバイまでの時差が5時間、ドバイからモロッコまでの時差が4時間。合計9時間です。 単純に考えて時差はヨーロッパと同じだから似たり寄ったりだと考えていたのが大間違いでした。 「旅行会社はずるいね、こんなに時間がかかる事を知っていたら来なかった」などと言い出すお客さんもいました。

2003年02月16日(日)「SAVON・ARGANE(アルガン石けん)」
 帰国の折、ムハンマド5世空港で何かお土産はないかなと、お店をのぞいてみました。 「ARGANE」と表示された石けんらしきものがあったので、「オレンジ?」と聞いてみました。 女店員は「NO ARGANE」と答え、「はだ つるつる、かわいい」とかなんとか日本語を使って売り込んできました。 少々値段がはりましたが値段交渉して負けてもらい5個買いました。

 聞いたこともない植物の名前だけれど何だろうと、ずっと疑問に思っていたのですが昨日分かりました。 素敵な宇宙船地球号「大地を守る魔法のオイル」というBS朝日のテレビ番組を見たからです。

 モロッコの砂漠地帯タマナール村に、このアルガンという植物が地下深く根を伸ばし地下水を吸い上げ大地を潤しているのだそうです。 この地の人々はアルガンの恩恵を受けて来たのですが人口の増加に伴い、最近では伐採して薪にしたり、 切り開いて畑にしたりと徐々に失われて砂漠化が進んでいたようです。

 このアルガンで作ったオイルは『血行を促進し、老化防止のビタミンとも言われる「ビタミンE」をオリーブオイルの約4倍含有しています。』 ということが分かり市場に出荷され、モロッコ人には勿論ヨーロッパからの観光客などに人気を呼んでいるそうです。

 話は少し長くなりますが“このアルガン・オイル”の生産が環境を守り、更にイスラム世界の女性の自立を助けているということです。

2003年02月12日(水)「点呼点検」
 朝出発時ツアー客がバスに乗ると、添乗員は一人ずつ数え人数の確認をします。 それから挨拶の後「パスポートを持っていますか?、指輪、ネックレス、時計など貴重品を持っていますか?今なら引っ返せますよ」 と各自が点検するように促します。

 最初は変な感じを受けましたが、そんなものなんだろうと思うようになりました。 そして今日1日ガイドをしてくれる、ローカル・ガイド、スルー・ガイド、運転手の紹介があります。こうして一日の旅が始まるのです。

2003年02月12日(水)「ある日のスケジュール」
 先ずホテルに到着すると全員、ロビーの1カ所に集められます。添乗員はその間全員のチェックインをしてくれます。 それからきびきびと部屋割りと、『今夜と明日のご予定について』というメモとを作りツアー客に渡します。

 一方部屋のカギと予定表のメモをもらったツアー客は急いで部屋を目指します。各自が部屋を探し当て、ほっと一息ついた頃、タイミングよく荷物が届けられます。 荷ほどきをゆっくりしている暇はありません。ホテルに到着して30分後が夕食時間なのですから。

 そして朝です。モーニング・コールから1時間後がバゲージ・ダウンとなります。出発はその後15分です。では、ある日のスケジュールをご紹介しましょう。

今晩 ?月?日(月)ホテル到着時間 19:10 夕食の時間 19:45
集合は、ロビー(〇階)・レストラン

明日 ?月?日(火)
モーニングコール 06:15
朝食の時間    07:00 ロビー (0階)
バゲージ・ダウン 07:15
集合時間     08:00
集合場所、ロビー(0階)・(フロント前)にて

2003年02月11日(火)「我らがツアー仲間その3」(私が社交家?)
 もともと日本人はシャイな人種。今までの体験からすると、いきなり出会った時から親しく話し始める人は少ないように思います。 「あなたは社交家という評判だったよ」と関空に降りてからOさんが教えてくれました。 私は満更でもないなと否定もしませんでした。とにかく意識してツアー仲間全員と話したのです。

 行きの航空便で隣の席に座った単身で参加した男性に、何度挨拶しても返事が返ってきませんでした。 何なんだろうなと疑問に思いつつも、旅の後半では名前まで聞いてしっかり話し合えるようになっていました。

 彼は典型的な日本人男性のようで旅の中頃には、周囲の人にうち解けて「先生」、「先生」と呼ばれ、得意な地質学を披露していました。 他にもほとんどしゃべらない単身参加の男性がいましたが、この人とも私は世間話をして楽しいひとときを過ごしました。

 旅に出ると、こちらから働きかけることをモットーにしています。それは多くの情報を得る事も出来るし交流が生まれ、楽しい旅が約束されるからです。

2003年02月11日(火)「我らがツアー仲間その2」(構成メンバー)
 参加した人たち30人の構成メンバーです。一番若い人で学生時代の同級生3人の女性たち。 1組の夫婦単位で2組、夫婦1組と単身2人、夫婦2組と単身1人、友人との2組、単身組が10人といった人たちでした。

 男女比は2対1で、ここでも“おばちゃんパワー”が発揮されているようでした。 ひとり旅と違うところは、それぞれのグループの中での行動や会話が中心となります。幸い1人参加者が多く、ある程度の交流はありました。

 一期一会、せっかく同じ場所で出会えた仲間なのです。もう少し触れあいがあってもいいのではないかと思いました。

2003年02月10日(月)「ひらがなとカタカナ」
 旅も半ばになるころにはメンバーはうち解け、てんでにおしゃべりを始めるようになります。
「お聞きするのですが、我々日本人は漢字を忘れたら“ひらがな”や“カタカナ”を使うのだけれど、あなた方はどうなんですか?」と中年男性が質問しました。
「当然漢字を書きますよ」と日本語が下手な女性Tさんが答えました。
「へぇ〜、そうなんですか」と感心しきりのその男性。

 私も再認識したものの、この頃めっきり漢字を忘れ“ひらがな”や“カタカナ”のお世話になっているので、日本人でよかったとつくづく思いました。 思えば先祖さまが、よくぞ“ひらがな”と“カタカナ”を創ってくれたものだと感謝しています。

2003年02月10日(月)「我らがツアー仲間その1」
 今回のツアー仲間に4人、中国人のグループがいました。当然、彼らは日本語を話せます。 時々中国語を話していた彼らに、「あなた方は中国人ですか?」とぶしつけに尋ねました。
「そうですよ変な日本語ですみませんね」と返事が返ってきました。
「とんでもありません、きれいな日本語ですよ」と私は答えたのでした。

 観察していると、あまり巧くない日本語を話しているTさんがいましたが、後の人は全く日本人だと言っても分からないくらい、巧みな日本語を操っていました。 日本で長年生活している人たちでした。

 そんな彼らとも親しく話をしました。
「中国に来たことがありますか?」と彼らのひとりが聞きました。
「いいえ、まだなんですよ。でも、いつかは行ってみたいです」と私。
「どうぞ、ぜひ来て下さい。都会は便利になりましたから」とメンバーが口々にいろいろな情報を伝えてくれました。

2003年02月09日(日)「ベルベル人とアラブ人」
 「世界不思議発見」でも話題なっていましたが、モロッコには紀元前3000年頃から先住民ベルベル人が住んでいたようです。 私たちが乗せてもらったラクダの御者たちもベルベル人でした。(そう名乗っていました)

 私が乗ったラクダの御者が、アラブ人を指さして「我々はベルベル人だ、アラブ人は悪い」と話していました。 確かに経済を支配しているのはアラブ人のようで、ベルベル人たちは片隅に追いやられた感じを受けました。

 それでも、我らがバスの運転手は名をフセインと言い、いつもにこにこ笑顔で私たちに接してくれたし、アラビア文字で私たちの名前まで記してくれました。 先ほど登場したラクダの御者は、英語は話せていたけれど「名前を書いて」と頼んだところ、 「エックス・キューズ・ミー」と文字が書けないことを申し訳なさそうにしていた。

 私は悪いことを言ってしまったと反省しました。

2003年02月09日(日)「世界不思議発見・モロッコ」
 昨夜「世界不思議発見・モロッコ」のTBSテレビ放送を視聴しました。私が大好きな世界を巡る番組のひとつです。 たまたま先週見逃していたのでこの放映を知りませんでした。モロッコツアーで知り合いになったMさんからメールで教えて頂いたのです。

 映像ではスタッフが写らないので、ひとりで旅を楽しんでいる様子が見て取れ「うらやましいなあ」と思いました。 砂漠を歩く、フェズの街並みを迷いながら歩く、地元の人と触れ合うなどなどでした。

2003年02月07日(金)「ポスト」
 私は旅をすると、決まったようにはがきをたくさん書いて日本へ送ります。今回は遅い到着と早朝出発ではがきを書く時間もない。 それからポストも見つからない。そんな中、バスで移動中トイレ休憩15分が設けられました。

「ここのお店では切手も売っていますから、はがきを出してみてはいかがですか?」と添乗員に促されたので早速はがきと切手を買い求めました。 さてと、はがきを書き始めたらもう出発の合図。大急ぎで1枚書くのがやっと、それは我が家宛、それをその田舎のポストから落としました。

 それから2日後、今度はメクネスの“ムーレイ・イスマール廟”そばの大きな郵便局のポストから残りの4枚を落としました。これだけがやっとでした。 「はがきが届きましたよ」という返事を帰国後もらいました。早く出した我が家宛のはがきが届かないので、半ばあきらめかけていたころにやっと届きました。

2003年02月07日(金)「オアシスとケッタラー」
 私が今までイメージしていた“オアシス”とは実際みて大きな食い違いがありました。 それこそ、広い広い灼熱のうねるような砂漠の中にポツンと真ん中に泉がある。そんな事を想像していました。

 実は渓谷などから、わずかに流れ込む谷間に沿って細長くナツメヤシの林があり畑がある。そこに人々が住んでいるのでした。 確かにその周囲は草木も生えぬ赤茶けた山があるだけ。このナツメヤシは住民にとって大切な木なのです。 実は食べ物になり、葉や幹など全てが生活に役立っているのだそうです。

 そんな砂漠地帯で“ケッタラー”という用水路をみました。現在は使われていませんが、ぽこぽこと蟻塚のようなものがあちこちにあり、 のぞいてみると地下水が貯められ流れるように作られていました。これはペルシャ人(現イラン人)にこの工法を学んだそうです。

 広い広い荒れた土地にも人間はいろいろ工夫をこらして生きているのだなと、人間の力強さに感心しました。

2003年02月07日(金)「南京タマすだれ」
 私たちはマラケッシュのジャマ・エル・フナ広場を早朝訪れました。昨夜見た賑わいはどこへ?と、ひっそりとした場所となっていました。 それでも、あちらこちらでパフォーマンスが行われていました。

 突然、私たちの仲間のひとりが鞄から衣装と道具をを取り出し、“南京タマすだれ”をやり始めました。ツアーのみんなもにわか観客となりました。
「なんだ、なんだ?」と次々広場にいた人たちが集まり、アッという間に観衆は丸く彼女を取り囲みました。

 異国の女性のパフォーマンスは、よほど興味があったのでしょう。驚きの顔、にこにこ顔、不審そうな顔、顔、顔、顔。 それこそ広場で一番人気者となっていました。

2003年02月05日(水)「偉い・モロッコは自家生産」
 モロッコは日本とほぼ国土は同じ大きさだそうです。私たちはバスでその国土のかなりの部分を駆けめぐりました。 そこで見たものは「草木も生えぬ土地」、赤茶けたぽろぽろの土にやっと生えた植物がポツンポツンと見受けられるだけ。

 そして、人口は2,800万人、日本の約4分の1です。そこは割り引いてもあの国土で自家生産しているとは驚きです。 国民の食の消費量はまかなっていると聞いて、日本では食のほとんどを輸入に頼っている始末。よくスーパーで見かける「モロッコ産たこ」や、 その他の魚は大西洋側で捕れているもののようです。

 この現状を考えると地球規模で何か起こったら、どうなるのだろうかと恐れを抱くのは考え過ぎでしょうか?

2003年02月05日(水)「文盲率は75パーセント」
 やはり、悲しいことに経済力がないため子どもたちを学校にやれない親たちが多い。しかも子どもを働かせないと生活が成り立たないとか。 大学は全国で4つあるそうですが、一握りの人だけが行っているようです。  王政でイスラム教国、現国王が「アメリカの“自由の女神”を超えるミナレットと世界最高のモスクを建てよ」と命じ、 8年かがかりで1993年8月に完成しました。それは“20世紀最高の芸術作品”ということですが、、、。

 私たちは時間がなく、そのモスク内部を見ることができませんでした。とても残念です。

2003年02月05日(水)「もの売り波状攻撃」
 フェズの旧市街地の狭い少路を歩いているときでした。大挙して訪れたツアー客の列に、これも、数人のもの売りたちが接近し、 執拗に日本人客にくっついて歩きながら、いろいろな品物を見せては買ってもらおうと試みていました。

 ここのもの売りたちを観察していると、旧市街地入り口から出口まで、かなりの距離、手を変え品を変えては現れていました。 お客さんの方はと見てみると、これまたずっと、つきまとわれている人、あっさり引き下がってもらっている人と様々でした。 これは、はっきり断れない人とか沢山土産を手にぶら下げている人のようでした。もの売りたちもしたたかです。そこがねらい目ですから。

 生活がかかっているので彼らも必死です。中でも小さな少年までも手にタバコらしき物を持って、何度も何度もあきらめずにアタックしていました。 ちょっと不憫でした。

2003年02月04日(火)「カギ閉じこめ事件」
 ワルザザートのホテルだったか確かではないのですが、とても古い建築のようで設備としては使い勝手は悪いと思いました。 でも、イスラム建築の良さを残していて趣のある宿で気に入りました。そんな場所でカギ閉じこめ事件が起こったのです。

 メンバーがそれぞれ添乗員に割り当てられた部屋のキーを貰って、各部屋に散らばりました。さて、自分の部屋の番号はと探しているときです。 どんどんどんと、近く部屋の中から扉を叩くがしてきました。

「どうしたんですか?」と私。
「開かないんです」と女性の声がしました。どうやらツアー仲間のようです。
「火事になったらどうしよう!逃げられない。外からドアーを蹴ってください」とパニックになった様子が伝わってきます。
「では、私が添乗員さんに伝えてきますよ。お名前は?、待ってて下さいね」と私。
「はい」としおらしい返事。
「そうそう、中に電話があるでしょう、フロントを呼んでカギが開かないことを伝えたらいいですよ、やり方が分かりますか?」と私。

 そうこうしているうちに、スルー・ガイドさんがやって来たので報告、そしてホテルの従業員が沢山のキーをぶら下げてやってきて無事解決しました。

   ひとり旅をしている私です。こんな修羅場を何度もくぐり抜けて来ました。当然、強くなりました。
「こんな部屋では不安でしょう?部屋を変えて貰いなさい」と、アドバイスする私。
「いいんです、コツが分かりましたから」と、当の彼女はすっかり落ち着いていました。

 あとから聞いた話ですが、その夜は何カ所かカギが開かない部屋だったそうです。

2003年02月04日(火)「ラクダから落ちかかったMさん」
 砂丘から登る太陽を眺めたあと、再びラクダに乗りました。いい気分で、とことことラクダの揺れに身をゆだねていました。 ふと左側のラクダにぶら下がったMさんを見つけました。

「Mさんどうしたの?」と私。
「落ちそうなの」とMさん。
「ストップ、ストップ」と私は大声で叫びました。

 ラクダの御者が来てすぐに対処してくれ事なきを得ました。
「どうして止めてと言わなかったの?」とMさんに聞いたところ
「どう、言ったらいいか分からなかったの」と答えていました。

2003年02月03日(月)「ラクダの背に乗って」
 この旅のメインイベント“ラクダに乗って砂漠を闊歩”を実現させました。 連日ぎりぎりの時間いっぱい、観光地巡りで疲れている体にむち打って早起きしました。

 ラクダの背にまたがり、私もゆらゆら揺れるラクダの歩調に合わせようと気遣いながら歩くこと20分、なんだか不思議な気分に誘われました。 こんな砂漠に来られるなんて、遠い遠い昔、夢でしかなかった。

 いつしか“月の砂漠”を口ずさんでいました。

2003年02月03日(月)「タイルの壁掛け」
 この旅行に出かける前から「今度こそタイルを買ってくるぞ」と家族にも宣言。 ’97年の時には長期の旅でもあったし、荷物を増やさないことが使命でしたから欲しいと思いながら断念しました。 バスからバスへと荷物は運んでもらえるし、しかもモロッコならいい物が見つかるだろうと考えていました。

 ところが結果は悲惨(大げさですか?)、フェズの旧市街地を団体で、そぞろ歩きをしていたとき私は見つけたのです。でも、買えませんでした。
「団体行動中、勝手にお店に入って、はぐれては危険です」と添乗員にきつく約束させられたのです。 あとから、希望を伝えたけれど結局はその時間もなく、見つけることが出来ませんでした。私にとって、とても心残りな出来事でした。

2003年02月03日(月)「束の間のお肌しっとり」
 海外旅行をすると、いつもそうなのですが乗った航空機内から肌が乾燥してバリバリになります。 今回も同じで家事もしないのに指先はバリバリ、一部の皮膚まではがれてしまいました。 いつものことだからと、持参したオイルや塗り薬を塗れども塗れども効果なしでした。

 ところが、自宅について即刻「お肌しっとり」、なんで、なんで、日本だって今の時期は乾燥気味なのにと。 やっぱり私は日本人なんだ、日本の気候風土が私にあってるんだと独り合点しました。

 そのことを家族に伝えると、ここ数日雨模様で湿気が多いからだと言われてそうかなと。 そして現在、手の甲は勿論のこと、手のひらまでカサカサになってしまったのです。これで大いに納得したところです。

2003年02月02日(日)「不思議発見・土産物店」
 三つ目は、私が立ち寄るお店にも一斉にツアー客が押し寄せてきます。そしてアッという間にいなくなるのです。 もちろん、ツアーの添乗員が案内していることは知っていましたけれど。 それにしても、それは大急ぎなので気に入った品物が選べるのだろうかと考えていました。

 それもよく分かりました。ツアー会社が指定したお店に時間を限って連れて行きます。 もう、考える余裕もなく店員に殺到して買い求めるのです。欲しいものか、欲しくないものか、高いのか安いのか、そんな事を考える余裕はありません。 すぐ約束の時間がやってくるのですから。

 しかし、興味がないものでもつき合わされる羽目にもなり退屈もしました。

2003年02月02日(日)「不思議発見・どこへ行くの?」
 二つ目は、私がツアー客と出会ったとき、よく声をかけました。

「これから、どこへ行かれるのですか?」と、私。
「えっ!、どこへ行くんですかね」と、仲間に聞く始末。行き先が分からないなんて変だなと疑問に思っていました。

 ようやく分かりました。ホテルからバスに乗って観光地を巡り、そしてホテルへと走り続ける旅行なので方向感覚は持てません。 一応地図は見てはいましたけれど。

2003年02月02日(日)「不思議発見・居眠り」
 私がひとり旅をしていた時ツアー客のことで、いつも不思議に思っていたことが3つありました。 その一つ、バスに乗ったお客さんが居眠りをしていることです。

「まあ、なんでこんないい景色を見ないで眠っているのだろう?」と。ようやく分かりました。今回、私もそのひとりになったからです。 その訳は、夜遅くホテルに到着して、朝早く発つからなのです。
「日本人のツアー客は、とてもよろこばれているんですよ。夜遅く到着して朝早く発っていくからね」と、以前聞いたことがありました。

 私もバスに乗ると途端に、景色を見なくちゃとの思いとは裏腹に眠りこけてしまいました。勿論ほかの人たちも同様です。 若者も高齢者も同じように舟を漕いでいましたよ。

2003年02月02日(日)「メガネ新調」
 昨年11月、人間ドックで受診したとき、近視が進んでいるとの指摘がありました。確かに遠くがはっきり見えない。 まあいいか、双眼鏡でも持参しようと考えていました。

 いよいよ、旅行の1週間前、家族にこのことを話すと「折角行く旅行なのに、よく見えんとは情けない。作りんさいや」と。 そこで、大急ぎ無理を言ってメガネを新調しました。新しいメガネで景色を眺めると、くっきり、はっきりと、 道路を隔てて信号待ちしている人たちの顔もはっきりと、見えるようになりました。

 荷物になる双眼鏡をおいて出かけたのはいうまでもありません。

2003年02月01日(土)「案の定」
 写真が出来上がりました。さて、ここはどこだったっけ?と“クエスチョン・マーク”が、いっぱいになりました。 ほとんど、自覚がないまま、次から次へと新しいシーンが用意されていたので観光した場所と写真との符号が一致しないのです。 日程を追っての確認作業が必要となりました。私が危惧したとおりとなりました。

2003年02月01日(土)「印象の深かった建造物の装飾」
 これも今回、期待していたことのひとつでした。かって、スペインのアンダルシア地方で見た、建造物の装飾の美しさには圧倒されました。 その夢をもう一度、もっと優れた美しい建造物を堪能できるであろうと考えました。

 さすが、モロッコで見た美しい建造物の数々、これには満足しました。もう少し時間が欲しい、ゆっくり眺めていたい、という思いでいっぱいでした。

2003年02月01日(土)「印象の深かった砂漠」
 とにかく、今回の旅では「“果てしなく広がる砂漠”をこの目で見て、私はどんな感情を抱くのだろう」と、いうことが楽しみでした。

 朝、暗いうちから出かけたので、現地にたどり着くまでは、その砂漠の広がりは確認できませんでした。 ようやく太陽が砂漠のうねりからのぞき始めた頃、やっと全体の雰囲気を掴むことができました。

 確かに、その光景を眺めて感動はしましたが、回りを埋めるように沢山のツアー客がたむろしていたので、思ったより深い感動は得られませんでした。 これがひとりなら、もっと違った感動を覚えたのではなかろうかと思います。

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