旅の報告

2003年10月11日(土)「来てよかった!」
 昨日、NHKテレビで「ヒマラヤトレッキング紀行 真野響子」、「カナディアン・ロッキートレッキング紀行 樋口可南子」を視聴しました。 いずれも美しい山の峰峰が映し出され感動的な紀行でした。

 「ヒマラヤトレッキング」は、ネパールの国花、ラリーグラスを見るためで、私も同じコースを3年前に実現させたものでした。 懐かしさにとらわれ、再度訪れたい想いに駆られました。

 一方、カナディアン・ロッキーでは、滝と湖の美しさと雄大さが眺められて、素晴らしい風景に酔ったような樋口可南子さんが 「ここまで来なければ見られないのね、来てよかった」と感想をもらしていました。

 「ここに来ないと見られない。来てよかった!」という言葉を今回も何度発したことでしょうか、辛い辛い登りを越えて達する喜びなのです。

2003年10月10日(金)「手入れの行き届いたゴルフ場、実は」
 これは、キャンモアからバンフに向かう車の中で聞いた話です。 私たち仲間の誰かが「こんなに広いゴルフ場なのに、なかなか手入れが行き届いていますね」と感心しながら話していました。
「いいえ、ここは気温が低いので、雑草が生えにくいんですよ、だから、あれで自然なんです」と、ガイド氏が語っていました。
「なるほどねぇ」と、皆さんうなずいていました。

2003年09月23日(水)「カナダの団地」
 私たちは、カルガリー空港からハイキングの基地キャンモアへ、Oガイドの車に乗り込み現地を目指しました。 時は6月25日午後5時頃、空港を出ると肌はひんやりとした感触を覚えました。結構日差しはありました。 広い、広い空間を走っていると、どこまでこの広がりが続くのだろうかと思うほどでした。

 そんな景色を右に左に眺めながら駆けていると、ふと同じように形をした住宅団地が目にとまりました。 聞くところによると、昔のカナダの家と異なり、個性がなくなり評判を落としているとガイド氏はいう。

 あえて、昔の家に住みたいのなら、古い家を買う方法があるそうです。一方カナダ人は、自分で家を建てる人が、かなりいるそうです。 ホームセンターに行けば、ありとあらゆる建築材料がそろっていて買うことができるのです。 それは、とてつもなく、大きな大きなホームセンターのようです。

 ちょっと目には、小さく見えた一軒一軒の家はかなりの広さのあるものだとガイド氏は重ねて話していました。

2003年09月18日(木)「フラワー・トレッキング・その3」
 「その2」で「グレイーシャー・リリーが日本では」と書きましたが、ちょっと誤解を受けそうなので訂正します。 日本ではカタクリと呼ばれています。こちらでは高山ではないのですが、やはりルーツは同じではないかと思われます。

 『高山植物の不思議・文=高橋 修 ・離れているのに似ている高山植物 アルプスやカナディアン・ロッキーで花を観察しながら歩いていると、 日本の高山植物とよく似た植物が多いことに気がづく。チョウノスケソウ、ハクサンイチゲ、ミネズオウなどが、 北半球で共通して見ることができる植物だ。』中略『その理由のひとつは、高山植物の多くが氷河期の遺存植物であるため。 遺存植物とは、氷河期には広く繁茂していたが、地球温暖化が進んだ現在では高山などのみに生き残っている植物のことである。』

 氷河期の頃、『海水面は現在よりずっと低く、北アメリカ大陸とユーラシア大陸、北海道、本州がつながっていた。 そのため寒冷地に適した植物が広く、ひとつの植物群落(周北極要素植物)をなしていた。』ので 『北半球の植物は、祖先が周北極要素植物からの遺存植物が多く、そのため似ている植物が多くなった。』と説明がしてありました。

 とにかく、私の疑問に答えてもらったような気がします。

2003年09月17日(水)「フラワー・トレッキング.その2」
 高山植物はどれを見ても美しい色をしています。澄んでいて気高さをも感じます。そんな花を見るのも、トレッキングの楽しみの一つなのです。 グレイーシャー・リリーが日本では里山の手入れが行き届いた場所に咲いています。花の色も違います。もちろん大きさも違います。 なぜなんだろうなと思っているとき、アルパインツアー発行の「フラワー・トレッキング」に詳しい説明が載っていました。

 もうひとつ、チョウノスケソウも川原や、いわゆるメドウといわれるような、あらゆる場所に群生していて、 ガイド氏が教えてくれたのでは2種確認できました。日本では非常に珍しい植物です。

 アルパインツアー発行の「フラワー・トレッキング」の中から引用し、「その3」で説明させて頂きます。

2003年09月17日(水)「フラワー・トレッキング.その1」
 今回のカナディアン・ロッキーで一番感動したのは、グレイーシャー・リリーの群生です。 もうそこら中、山全体がグレイーシャー・リリーに埋まっていました。こんなに沢山の高山植物の群生を見たことはありません。 その他にも、ペイント・ブラシなど、見慣れない花も見ることができました。

 私たちのガイド氏は、その花一つずつに英語名と日本語名とを紹介してくれました。 何を聞いても99パーセントは答えが返ってきました。

 またまた、好奇心旺盛のおばさんが質問しました。
「花の名前は前からよく知っていたのですか?」
「いいえ、このガイドの仕事をするようになってからです」とガイド氏。

 それから、40年という長い年月をかけてやっと咲く「モスキャンピオン」という花を紹介され、 けなげな生命力に参加者全員は心打たれました。 その花はコケで地を這うように小さな群落をつくり、美しい濃いピンクの花をつけていました。

2003年09月15日(月)「メドウとは」
『「Meadow(メドウ)」とはその標高の違いから、「高山草原」とか「亜高山草原」などと訳されます。 簡単に言えば高原のお花畑みたいなところ。でも、その広大さは想像を絶する世界。登りで汗をかいた身体に、 メドウの風はホントに心地よい!傾斜は緩く、だだっ広い斜面にひたすらお花畑が続くのです。 楽園というところがあるならば、きっとこんなところなのでしょうねぇ・・・。』

 とこのような解釈でした。ついでに、この「コラム(Columns)」に 『ヒーリー・メドウには、グレーシャーリリーが群生している(黄色のカタクリ)ので、 その根を食べにくるグリーズリーの生息地』なのだと。

 私たちもその根っこを掘った後を教えて貰いました。ここでも、グリーズリー対策には 単独や少人数で行動しないようすること、糞とか掘り返した後などに注意を払う事などが書かれていました。

2003年09月15日(月)「メドウってなんですか」
 好奇心の固まりのおばさんたち、私たちハイカーは、ガイド氏にこのような質問をしました。 言われてみると「ヤムナスカメドウ・ハイキング」とか、「ウイルコックスメドウ・ハイキング」など耳慣れない言葉が出てきました。 当日、私も耳をそばだてて聞いていたのですが、確信が持てません。 そこで、愛用の英和辞書や和英辞書で引いてみたりしたのですが一向に回答がみつからないのです。

 とうとう、HPで検索してみました。少々不安を持ちながら、、、。 あきらめかけた頃「バンフ日系商工会からのメッセージ」を探し当てました。 その中で満足のいく回答がなされていました。これで懸案事項解決です。

2003年09月12日(木)「カナダの森林火災」
 昨日、NHKの「クローズ・アップ現代」で、多発するシベリアの森林火災が環境問題を引き起こしていると報じていました。 映像を見る限りでは痛々しいほどの火災の後で、その深刻さが伝わってきました。

 私たちがカナディアン・ロッキーをハイキングしている時にも、森林火災の後をみることがありました。 「森林は古くなり過ぎると植物が死んでしまうのです。以前は森林火災が起きるたびに消火に努めていました。 ある時から、これは自然現象で森林にとっても必要なんだ、世代交代で森が生き返ることなのだということをカナダ人は学んだのです。

 それから、むしろ積極的に小規模な人工火災を起こしているのですよ」とガイド氏が話してくれました。 私はこの話を聞いて、自然は人間が及びもつかないことを太古の昔からやっていたんだということを教えられ、その素晴らしさに感動しました。

2003年09月07日(日)「黒クマとグリーズリー」
 私たちはハイキング中いろいろな動物を見ました。中でも黒クマのこどもが道路脇を走り去る姿に驚きました。 「こんなところにもいるんだ」という驚きです。

 そこで、黒クマとグリーズリー(灰色クマ)の性質の違いについて面白い話を聞きました。 私たちが見た黒クマは、まるで、シュタイフ社のぬいぐるみそっくりで、愛らしい姿をしていました。 一方グリーズリーは巨体で気性が荒く人間にとって恐ろしい存在のようです。(見ていません) カナダではクマと出くわす事も多いようで、私たちがハイキングしている間中にも、 ガイド氏は、油断なく私たちに注意をはらっていました。

 グリーズリーはとても賢く、相手が自分にとって勝てる相手かどうかを人数などで、推し量り勝てないと分かると、戦いを仕掛けてこない。 そう言う意味でも団体で行動することが大切です。ひとりで、ひょいと仲間からはずれた行動をすると危ないと。

 一方、黒クマと出会ったら、人間はあきらめずに、とことん戦えば、逃げていく可能性があるとか。 グリーズリーは徹底的に戦いを挑んでくるので危険だから、出会わないようにする工夫が必要なのだそうです。

2003年09月05日(金)「サミット(SUMMIT)とは」
 私はサミットの意味を単なる「山のてっぺん」だと解釈していました。 ところが、ハイキングをしていた時、ガイド氏からカナディアン・ローキーのような連なる山々のてっぺんを指していうのだということを 教えてもらいました。独立峰のてっぺんをいうのではないと。

 そういえば、ここ、カナナスキ/ウイスラーでも2002年6月12日と13日にサミットが開催されて、 『テロとの闘い、世界経済の成長と持続可能な開発の強化、及びアフリカの開発のための 新たなパートナーシップの構築といった課題について議論した。』たのだという会場の側を車でも通りました。

 そう、8カ国の首脳をそれぞれ「山のてっぺん」に例えるならば、「そういうことなんだ」と妙に納得しました。 『』内は「環境省、GEIC,環境GOO」より。

2003年09月05日(金)「グリーズリーをつれてやって来る」
 カナディアン・ロッキーでハイキング中、私は仲間の温かいアドバイスで、ガイド氏の次を歩かせて頂きました。 「なぜ?2番目なの」これは山歩きをする人ならご理解して頂けると思うのですが、普段山歩きをしていない人や、 素人にはガイド氏の直ぐ後ろについて歩くのが歩幅も一致して楽なのです。そんなことで、ガイド氏と話をする機会が多くありました。

 さて、本題に入りますが、私たちが山を降りているときです。犬をつれた若いカップルのカナダ人が登ってきました。 犬は首輪をつけないで勝手に走ってきました。それを見た私は質問しました。「首輪をしなくてもいいのですか?」

 「国立公園内では繋がなくてはいけないのです。経験不足の若い犬たちは、走り回ってグリーズリーに出会うと戦いを挑むのです。 ところが勝ち目はありません、飼い主のところへと逃げ帰る犬を追いかけてくるのです。そう、グリーズリーをつれてやってくる。 という羽目になるのですよ」。

 とても興味深い話を聞くことができました。

2003年08月29日(金)「離れてみると、よく見えてくる日本国」
 8月28日、朝日新聞の社説に環境税についての記事が載っていました。 それは環境省が、これから「環境税の導入を考えていこう」というものですが、 「産業界は環境税に対し、生産コストを上げ企業の競争力を弱めると反対している。」ということのようです。

 ひるがえって、カナダでは空き缶が転がっているのを見たことがありません。それには訳があるのです。空き缶を回収するとお金になる。 これは生産者がその回収の費用をきちんと、負担しているからなのです。 それでなければ、ゴミ問題も含めて、最近地球温暖化による、私たち日常生活への影響が取りざたされていますが、 いつまで経っても解決されないでしょう。

外からみると、国の政策がよくみえてくるとガイド氏も話していました。 これから、私たちは環境への費用の負担を覚悟しなければならないと思います。

2003年08月28日(木)「はい、何でしょう?」
 このことばを、私たちのガイドO氏が何度発したことでしょう。私たち年配者は何度も同じ事を聞きます。 昨日聞いた花の名前を、いいえ、先ほど聞いた花の名前さえ忘れてしまうほど覚えることが苦手です。 しかし彼は何度聞いても、何度でも優しく答えてくれました。

 そのサービス精神の恩恵で、私たちは5日間、心地よくハイキングを楽しませて頂きました。 仕事だからと言い切ってしまえばそれまでですが、彼にはそんな不遜な態度は見られず、誠意をもって接してもらったと思います。

2003年08月27日(水)「カナダには過労死ということばがない」ブラッド語録その8
 事の顛末は知らないのですが、ブラッドが誰かと話している内容が聞こえてきました。もちろん移動用の車の中のことです。 「過労死ということばをカナダ人に伝えようとするのだけれど、そのことばがみつからないんですよ。 話してみてもカナダ人にはとても理解できないみたいです」と。

2003年08月27日(水)「SARS騒ぎ 」
 私たちがカナダを訪れた頃は、SARS騒ぎも下火となりつつありました。 ところがカナダのトロントで患者が発生したということで、カナダ空港ではかなり厳重な検査がありました。 といっても身体検査を受けるわけではないのですけれど。

 書類に事細かに出発地やこれから到着する地の詳しい記述、航空便番号や機内での座席番号などが求められました。 やはり、アメリカの9.11テロ、サーズなどの影響でいつも賑わいをみせているカナディアン・ロッキーの基地バンフでも、 「お客さんが10分の1位です」と大げさでなく嘆いていたガイド氏でした。

 ついでに、アナディアン・ロッキーで乳児を連れた日本人夫婦に出会い「どこから?」と問うと「トロントから」と答えが返ってきました。 トロントでは日本で報じられているような大げさな事はなく「みんな平常通り暮らしていますよ」と話していました。 日本はちょっと騒ぎ過ぎたのでしょうか?。

2003年07月31日(木)「春一番に咲く花」ブラッド語録その7
 その花の名前を聞きそびれたのですが、この地方は冬になると零下40度にまで気温が下がり雪で覆われます。 私たちには想像もつかない冬の厳しさを彼は子どもの頃から体験しています。

「春になり、一番に咲くその花を見つけると「わ〜っ!春が来た」と、みんなで大喜びをするんですよ」という話を聞いて、 なんだかこの地に来て分かる気がしました。ハイキングしている間にもブラッドは「草花を踏まないように」と私たちに呼びかけていました。

 厳しい自然のなかでようやく花開く草花たちへの優しい彼の目がありました。

2003年07月31日(木)「その秘策は」ブラッド語録その6
 私たち日本人は英語を話すのが苦手です。苦手というより話せないという方が適当かも知れません。 それなのにブラッドの話す日本語は余りにも巧みでした。

「ブラッドさん、私は今も英語を習っていますが、ほとんど話せません。英語を早く身につける秘策はないですか?」私。 と、問いながら英語を話す人にそのコツは分からないと思い質問を替えました。
「日本語を覚えた秘策は?」と。
「一日中、毎日、毎日、日本語を繰り返し、繰り返し勉強しました。いっぱい時間をかけてやりました。 忘れないうちに同じところを覚えていくのです。」ブラッド。
「そうなんだ、やっぱり私たちは努力が足りないということね」私。

 みんなも納得。とても勉強熱心な彼は英和電子辞書を持参していました。それにはみんな驚いていました。

2003年07月29日(火)「死ぬかと思った」ブラッド語録その5
 メンバーのおばさんたちの質問はまだまだ続きます。 カナダにきて幸運にも晴が続いていました。毎日のハイキングには、それこそ最高の日よりです。 空気もさわやかですし、まして遠くまで山並みが見渡せる、湖面は真っ青な空を映し、 あくまでも美しい青いろの水を湛える(満たす、いっぱいにする)。

 そんな風景に見とれて、ふと、日本のじとじとした梅雨を思い浮かべていました。
「日本の梅雨はどうでした?」メンバー。
「もう、あの暑さと湿気には死ぬかと思いました」ブラッド。

 そうでしょう、日本人でさえあの梅雨のじとじとには耐えられないのですから、、、。

2003年07月29日(火)「汗には気をつけて」ブラッド語録その4
 ブラッドはカナダのキャンモア近くに住んでいたようです。この度、彼と一緒にハイキングした時こんな事を話していました。 子どもの頃、お母さんが『汗をかくのは悪いことよ』と教えてくれたというのです。

 私たちが到着した6月25日のことです。 「2〜3日前に雪が降りましたよ」とガイドのOさんが話していました。
このように、いったん雨でも降ろうものなら気温が急激に下がり、夏でも雪が降ります。 私たちが体験した範囲でも、日中は半袖のTシャツを着ていても平気ですが、朝夕には肌寒くフリースを羽織るくらいでした。

 こんな土地柄、汗をかくと体を冷やし最悪では命をとられるのだと言うことらしいです。 この話から、私たちメンバーと汗談義が始まりました。日本では“汗をかく”ことはいいことの象徴のような表現があるよねと。

 ところ変われば、格言も変わってくるものなのでしょう。

2003年07月27日(日)「ど田舎」ブラッド語録その3
「なぜぞんなに日本語が巧いの?」メンバー全員が興味津々。
「あのぅ、3年間日本のど田舎(近畿地方)の中学校で英語の先生を3年間していました」ブラッド。
「へ〜ぇ、たった3年でね」メンバーは感心しきり。

 ブラッドの「ど田舎」発言で話題沸騰。そうなんです、彼の話す日本語のイントネーションは完璧でした。再び話は元に戻ります。
「それはいつ頃のことですか?」メンバー。
「1年前に帰国しました」ブラッド。
「どうして日本に来るようになったの?」メンバー。
「就職活動しているとき、ちょうど日本で英語教師を捜していたのです。採用のための試験に合格して来ました」ブラッド。
「その時日本語は話せたの?」メンバー。
「いいえ、日本語は全く話せなかったのです」ブラッド。

 あそこまで話せるようになった血のにじむような努力の話はのちほどに。

2003年07月26日(土)「カナダ人より多い湖」ブラッド(カナダ式)語録その2
 私たちがヤムナスカ・ハイキングに参加したときです。ガイドのOさんが専用車を運転して大きな一枚岩を目指していました。 遠くでみると、それほどでもない大きさでしたが近寄ると、どんどん大きくなるばかりです。ましてその側をハイキングするのですから、、、。

「あの山は何メートルあるのですか?」と質問が飛び交いました。
「500メートルあります」とOさん。
「すご〜い」とみんな。
「あれに登る人もいますか」とみんな。
「ええ、今も登っているでしょう」とOさん。
「まあ、それにしてもカナダは大きいね、湖もいっぱいあるし」とみんなは、荒削りな自然、山々の連なりと、どっしりかまえた大地と、 湖の多さに圧倒されていました。
「そう、湖はカナダ人の人口より多いんですよ。」とブラッドがいいました。

 みんな納得していました。

2003年07月25日(金)「Oh! Smashing について」
 初日、ヤムナスカ・ハイキングのため、私たちは宿の前に集合しました。突然カナダ人のブラッドさんが現れました。 と言うのも私たちのツアーリーダーOさんは、このことをひとことも話してくれていなかったからです。

 直ぐに、今日同行してくれるアシスタント・ガイドのブラッドさんだとOさんから紹介されました。 私たち仲間は英語は話せないんだけれど、、、。の空気が広がりました。しかし、それは杞憂に終わりました。 なんと、彼が流ちょうな日本語で話し始めたのです。

 私たちは移動用の車に乗り目的地に向かいました。その間中、ちょっと引いていた皆さんが、矢継ぎ早の質問を浴びせかけました。 人が変われば同じ質問が何度も繰り返されるのですが、彼はそれぞれの質問に丁寧に答えていました。とても明るい好青年でした。

 そんな彼が車の中で叫んでいました。「Oh! Smashing」当然、「それはどういう意味ですか?」と質問されました。 「これは、ワンダフルより強い意味が込められています。」全員納得しました。 しばらくは車の中で、皆さんは口々に「Oh! Smashing」を繰り返していました。もちろん私もです。

2003年07月23日(水)「旅の報告:さい先のよいスタート」
 1月に参加したツアーでの体験では辛い思いをしたので「金輪際、ツアー旅行はやめよう」と思っていました。 しかし、カナダへの思いは断ちがたく、再びツアーに参加することに決めました。何よりも、私にはあの広大な国を動く「足」がないことです。 それから、構成メンバーにより結構トラブルが生するのです。今までに何度かそんな事を体験しました。

 今回のツアー・メンバーは関西空港から搭乗するものが7名、その内訳は1組のご夫婦と、女性4名の気のあった山中間そして私で7名。 バンクーバーで成田から搭乗した関東出身の男性1名とで計8名の参加でした。

 海外は、はじめてと言うご夫婦そして気のあった女性4人組みと出会ってから、すぐうち解けました。 それはさい先のよいスタートとなりました。

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