旅の記録2

2002年03月12日(火)
「“チロルの谷をのんびりと”の写真集について」
 “旅に出ると写真”は定番です。36枚撮りフイルムを10個持参しましたが、足りなくて現地で18個も購入しました。 写真の写し方がどうのこうのと、いつも悪評をかっています。それでも今回もたくさんの写真を撮ってきました。

 一応プリント仕上げをしましたが、パソコンに取り込んでおけば、なにかと便利なので何日か時間をかけてその作業を終えました。 相当な時間がかかるので、当初は取り込み枚数を制限していました。 ところが、モニターに映し出される風景を眺めているうちに、気分はもう旅の中。すっかりはまってしまいました。

 今となっては、カット分も取り込む考えにいたりました。

2002年03月09日(土)
「チロルの写真をパソコンに取り込み中」
 “チロルの谷をのんびりと”の旅で写した写真をただいまパソコンに取り込み中です。写した写真が、ざっと数えても1000枚。 フイルム12枚を読み込むのでも約30分かかります。それを保存する作業がまた10分くらいかかるので、かなりの時間を要します。

 読み込み中じっと待つには時間がもったいない。そこでタイマーをかけては、あれこれと他の作業をするわけです。 かえって忙しい毎日を過ごしています。

 でも、保存の作業をするとき、モニターに写る写真の一こま一こまに惹きつけられ、旅を再現しています。 しかも、そのとき見た目よりも更にいろいろな風景が広がってきます。ここでも、ひとり旅ならではの魅力を感じました。

2002年02月08日(金)
「旅のグッズ・私の場合3」
 “チロルの谷”に持参したザックは、一体型で(35リットル)とても重宝しました。 ザックの横っ腹にチャックがついているので、物の出し入れがとても楽でした。

 いつもそうなのですが、ザックの中にはスタッフザックだとか、洗面用具とか、いろいろ区分して物を入れていきます。 これは私のオリジナルかと思いますが、衣類は縮緬の風呂敷に包んで入れます。衣類は大まかに2種類に分けて包みます。 これが、とてもしっくりとザックの中で落ち着くのです。

 縮緬なので包むと、かちっとしていて崩れない。とても気に入っています。 以前ユースホステルでこれを見た外国人が「きれい」といってほめてくれました。

2002年02月05日(火)
「旅のグッズ・私の場合2」
 旅をするとき、何はさておき一番大事なことは、やはり履きものでしょうか。 私の旅は自然の中を歩くことが多いのでトレッキングシューズとなります。 それらの靴は、とても頑丈に作られているので重くて履いたり脱いだりに手間がかかります。 しかも都会を歩くときには、ちょっとおしゃれっけがなくスマートではありません。

 通販でおしゃれなトレッキングシューズをみつけました。 茶色のスウェード素材、しかも内部はゴアテックス仕様なので雨にも強く靴内の汗も巧く調節してくれるという優れものでした。 ところが、イタリア製なのでおしゃれな分履いている間に左右の足指の間に豆を作ってしまいました。 ’97の時でした。その辛さに辛抱できず、サンダルやスニーカーを現地で買う羽目になりました。

 そんなこともあって、“チロルの谷”では、やはり軽登山靴(4E)で、同じくスウェード素材で内部はゴアテックス製。 それなのにイタリア製の値段の約半分、全く足の故障もなく快適な旅が続けられました。靴選びは本当に難しいです。

 ちなみに、その靴を履いてスイスの山を歩いていたとき日本人女性グループに出会いました。 彼女たちと話が弾んでいるとき、私の靴を見つけたメンバーのひとりが「わあ、同じ靴だわ」「弾力があって、とてもいい靴ですね」 「値段も安いし」と、お互いに靴談義となりました。【ディスカバーレディース・アサヒコーポレーション 】

2002年02月03日(日)
「旅のグッズ・私の場合」
 今年、何カ国かを除き、ヨーロッパの通貨がユーロに切り替わりましたが、 それに関連する作業が減り喜ぶのは私ひとりではないでしょう。

 チロルの旅でも少なくとも6カ国を通過したわけです。 そのたびに通貨の入れ替えをしなくてはならないので財布をいろいろ取り揃えました。 とは言いつつも、国際列車内では、あるいはある地域では、近隣国の通貨が使える場所もありました。

 そうは言いつつも、やはりその国の通貨に変えていた方が何かと安心です。そこで登場した私のグッズ。 今回使用した財布の数々をお見せしましょう。

さいふ1  さいふ2  さいふ3  バックパック

2002年01月31日(木)
「いろいろな切手に出会う4」
 二三日前にオランダから手紙が届きました。’93年スイスへ旅したときからの旅仲間J子さんからのもでした。 出会った当時は建築家の大学生でした。

 オランダとスペインのサクラダファミリア教会などの建築物を見て歩く旅。その感激を私へも伝えてくれました。 そして、私が気づいたのは切手でした。今年始まったばかりのEURO通貨、 それが切手にも「0,75euro 」珍しいのでスキャナでコピーしました。
「0,75euro 」の切手

2002年01月23日(水)
「いろいろな切手に出会う3」
 いろいろな切手に登場させた“植物画”にひとこと。 切手の大きさは、横3.5センチ、縦5センチとかなり大きいものです。画像ではさらに大きめにしてあります。

 この絵の作者は切手の下方に「ROELANT SAVERY EIN BLUMENSTRASS,1612」とありますので約400年位前の人のようです。 この時代「バベルの塔」で有名な画家ピーテル・ブリューゲルの息子たち(長男ピーテル2世、次男ヤン)が活躍していました。

 私がブリュッセル王立美術館で見た/アブラハム・ブリューゲル/花と果実 1677年/の絵に大変惹れました。 (アブラハムはヤンの息子) 私は当時ボタニカル・アートを習っていたので、このような植物画に興味がありました。 そこで、おみやげにこのような絵はがきや切手を買って帰りました。

 ボタニカルのM先生に植物画の切手を差し上げると大変喜んで下さいました。
「花だけでなく生態系を含めて描いてある、さすがヨーロッパだ」と。 なるほど、この切手をよく観察すると、トカゲ、ミツバチ(ハエ?)蝶、花びらにとまっている小さな昆虫などが見えてきます。 さらに、花の根っこまでも。

 この切手を専用の額縁(横5.3p、縦6.7p)に入れてサイド・テーブルの上に飾っています。

2002年01月22日(火)
「室内干し」
 この頃は、洗濯物が一日では乾き切らなくなりました。そこで、旅の間中に発揮した室内干しのノウハウを生かしました。 最近では、室内干しをやっていませんでしたが、冬、室内は乾燥しているようだし、取り込んだ方が生地を傷めないのではと考えるようになりました。 お店でいろいろな室内干しを探してみましたが、なかなか、ぴったりというのがないのであきらめました。

 私が旅をしている間、宿につくと“何はさておき”しておくことがあります。 バスルーム(シャワールーム)のどの場所に洗濯ロープが張られるかをチェックします。 バスルームが無理なら、乾きやすくて、人目に付きにくいところ、ロープがどこからどこへ渡せるかなどなど。 これは、大事な仕事なのです。持ち物(衣服)を最小限にくいとめるには、どうしてもこのような工夫がいるのです。

 今回も旅行用品で巻き込み式洗濯ロープと洗濯ばさみ10個、小物干し(10センチ正方形)1個を持参しました。これだけで無難にこなせました。 もちろん、干す前には水が滴らないようにバスタオルで水気を切っておくことも大切です。

 我が家でも、このようにしてロープを張り洗濯物を取り入れたら、先ずはそのロープに引っかけて一晩おくか、 前日が雨ならもう一度、日光に当ててしまうようにしています。

2002年01月16日(水)
「チップについて」
 ’97にヨーロッパを旅したときのことでした。エーゲ海に浮かぶギリシャのサモス島で出会った、日本人男性と女性の3人でお昼を食べることになりました。 話によると、男性は元国鉄のキャリアで、新しい会社からトルコに派遣されて仕事をしているようでした。

 前置きが長くなりましたが、彼らとの話で「チップ」のことが話題にのぼりました。 それまで、日本で「チップ」の経験がない私には、複雑で煩わしいものでした。 「チップを出すのは気持ちの問題だから、必ずしも出さなくてもいいものなのです」と教えてもらってから気分がすっきりしてきました。 それ以後、私は旅に出るた度に気がかりだった「チップ」から解放されたのでした。

 それがこの度は、なぜか、気持ちの負担もなく自然に「チップ」が出せるようになりました。 よいサービスを受けたら出す。料金の何パーセントだとか、そんな計算はしませんでした。

 自分が受けたサービスが、うれしかったら「チップ」をあげる。そんなことで、オーストリアではかなりの回数、チップをだしました。 受け取る人たちの「ありがとう」を聞くのもいいなと思いました。

2002年01月11日(金)
「いろいろな切手に出会う2」
 オーストリアの切手の美しい色合いをどのように表現しようかと当初とまどいました。 思い出したのが、10年くらい前に購入していた「色の手帖・編集尚学図書・小学館発行」の本でした。

 切手を「色の手帖」に近づけて色の名前を選びました。 その本が気に入っているのは、色見本と文献例が併記してあることと、日本固有の色名が記されているからです。 例えば、赤系の色は、“牡丹色”“撫子色(なでしこいろ)”“石竹色(せきちくいろ)”“鴇色(ときいろ)”“苺色(いちごいろ)”“緋色”“桃色”など。 赤系だけでも58種類。茶系の色では68種類にものぼります。 このように多種多様な色を自然の中や生活の中から見いだし、日本人特有のきめ細かさと豊かな表現力で、一つずつ名付けているのです。

 日本人の文化の深さに驚かされます。そのことを伝えたくて、ひとこと加えました。

2002年01月10日(木)
いろいろな切手に出会う」
 私は、旅先のいろんな国から絵はがきを日本の友人や家族に出しました。その中でもオーストリアの切手に惹かれました。 大きさは、縦4.2ミリと横3.2ミリ。コバルトブルーからネービーブルーまでのグラデーションの色合いの中に、 先端が緑の葉っぱで下方に進むと大きな滴の絵が描かれています。この周囲をシルバー色の文字が囲んでいます。
 「私たちの地球の環境を大切にしよう」というメッセージが伝わってきます。とても美しい切手です。ちなみに15オーストリアシリングでした。

 美しいといえば、リヒテンシュタイン発行の切手です。大きさはオーストリアと同じですが、 これは、リヒテンシュタイン候のコレクションである秘宝のペンダントで、赤色の台にターコイスブルーで十字架の模様が彫刻してあるものです。 切手の台紙はパールグレーを薄くした色ですが凝っているのです。そのペンダントを囲むようにして、やはりシルバー色の模様が光線の向きによって見えてくるものです。

 切手で有名な国リヒテンシュタインならではの、絵画と切手が同じ絵のはがきが発行されていました。 私もその中で、ルーベンス(Peter Paul Rubens 1577-1640)の息子の絵はがきを買いました。その他の国でもいろいろな切手に出会いましたが、 フランス、スイスでは風景印が押されてあるのもありましたが、ありきたりのものでした。

 しかし、イタリアでは最近料金が変わったらしく日本へ送る適当な金額の切手がなく、4枚くらい貼る羽目となり宛先を書くのに苦労をしました。

リヒテンシュタインの風景切手 リヒテンシュタインの植物画切手

2002年01月08日(火)
「再びATMについて」
 私が訪れた国、スイス、フランス、オーストリア、イタリア、ドイツ、リヒテンシュタインでATMを最大限に利用しました。 しかし、回線の不都合で、あるいは使用法が難しくて思うようにお金が出せなかったこともありました。

 なんといっても、外国のATM機を利用するのは緊張します。まず、ことばの壁です。 それから、私のような小さな背丈では、背伸びしても見えないような場所に操作画面があるのです。

 あるとき、これはオーストリアのゼルデンでの出来事です。 見えにくい操作画面に苦労して四苦八苦していると先ほどまで誰もいなかったのに、背後で私に指示する男性が立っていました。 驚いたのは言うまでもありません。しかも、私の暗証番号まで見られたのですから。

 まあ、とにかく彼の指示通り行ってお金を手に入れることができました。 その後、私は逃げるようにして走り去り、とある場所に入って身を隠し様子を伺ってから宿にもどりました。

 この例のように、国によって、また、場所によって操作方法が違っていました。 こんなことで、必要なお金が手に入らないときに必要なのは、トラベラーズチェックです。 少額でもいいのです、いろんな場面を想定して、幾通りかのものを準備しておくことの大切さを身を持って体験しました。  

2002年01月07日(月)
「電話機・いろいろフランス編」
 フランスでは一般的なテレフォンカードを使いました。ここ南プロヴァンスでも、大体電話機の機能は、大きく変わらず不都合なく利用できました。 この地方でも、できればヴィザカードでの通話を望み試みたのですが不通でした。シティーバンクカードも同様でだめでした。

 回線不通といっても、国をまたがり事情もいろいろなのに、なぜ使えないのか不思議です。 このように何度かクレジットカードでの通話を試み裏切られたので、当分使用するのをやめました。

 本当は、短期間で国々を回るときには、このようなクレジットカードでの通話が無駄がなく便利なのです。

2002年01月07日(月)
「電話機・いろいろオーストリア編2」
 さて、テレフォンカードですが、オーストリアで今まで使ったことがないものを見つけました。 インターネットで我が家にアクセスしてみようかなと考えてお店を探していると、インスブルック駅前に「インターネット◯◯」という看板をみつけたので入ってみました。

 パソコンがドイツ語であるし無理なようなのであきらめて出ようとすると、テレフォンカードを売っていたので購入しました。 「このカードはお得ですよ、使い方が分かりますか?」と英語で聞いてくれました。その使用法を聞き、早速かけてみようとしました。

 ところが、オペレーターが出てきて、ドイツ語でぺらぺらとしゃべりだしたのでお手上げ状態。もう一度お店に舞い戻り、説明を聞きました。 再度トライしましたが、それでも通じません。100シリングも出して買ったカードが、うらめしくて、うらめしくて安易に買ってしまったことをとても後悔しました。

 「100ATSフリーワールド」(one line telecom freeWorld)というもので、アクセス番号を打つとオペレーターが出てくるので、 オペレータの指示に従ってPIN・CODEを打つ、オペレーターが「あなたのかける相手のナンバーをどうぞ」と、いってからナンバーを打ち始めるのです。

 捨ててしまうのももったいないので、それこそ何度も何度も繰り返してかけている間にオペレーターのことばの間合いをつかめるようになりました。 やっと日本の我が家に通じた時には、“やった〜っ”とひとりで小躍りしたのでした。

 このカードは、本当に“お得”でした。日本の友人や家族へおおよそ15分を10回くらいかけることができました。 

2002年01月07日(月)
「電話機・いろいろオーストリア編」
 どこの国でも最近では、コイン式用電話機とカード式用電話機があります。 オーストリアのインスブルックでも同様2種類の電話機がありました。しかし、電話機のある箇所が非常に少なくて不便でした。

 また、クレジットカードでかける場合に必要な「♯」記号がついていないので、この国での使用をあきらめました。 このように、出国前には、クレジットカードでの通話を主に考えていたので当てがはずれました。

 ちなみにクレジットカードで電話をかけるときには、いろいろなメニューがあります。 クレジットコール、ホームダイヤル、ジャパンストレイト(シティバンク・ワールドキャッシュ・カードの場合)などで、 音声ガイダンスで、あるいは、オペレーターがつなぐもの、いずれもアクセス番号がそれぞれの国々で違っています。

 クレジットカードをスライド(縦型、横型あり)させて会員番号を読みとらせてからかける場合もあります。費用もそれぞれ違ってきます。 結構、電話をかけるのにもたくさんの方法があり、ルールがあるのです。 私の場合は透明のカードケースに電話のかけかたが書いてあるカードと相手の電話番号とを書き込んで、いつもベストのポケットに入れて持ち歩いていました。

2002年01月07日(月)
「電話機・いろいろイタリア編」
 イタリア、メランでもインターナショナル・テレフォンカードを買いました。切手もそうですが、たばこ屋さんで買うのです。 イタリア・リラは、やたらと0が多くて、つい2000円相当のカードを買ってしまいました。 使用法は、オーストリアの「フリーワールド」の使い方と大体 同じようなので、簡単に考えて電話ボックスに向かいました。

 ところが、その電話機でのカードの使用法が分かりません。もう一度、お店にもどり使用法を聞きました。それでかけてみたものの通じません。 もう一度もどって聞くと若い男性の店員は、地元のお客さんに「困ったものだ、この人は」といいながら相手にしてくれないのです。

 私はもう、頭に来て日本語でさんざん悪態をついてその場を去りました。 それで、再びこんな金額のカードを買うのではなかったと後悔をし始めました。 場所を変え他の電話でかけてみると、今度はうまくいきました。電話機の使い方(図解)をよく見て、その方法でやってみたのです。

 やはり、ドイツとかスイスでは電話機が新しく、電話をかけるのが比較的容易だと思いました。

2002年01月06日(日)
「電話機・いろいろ スイス編」
 “チロルの谷をのんびりと”の旅でも訪問先の各地から日本へ電話をかけました。その方法をご紹介しましよう。 先ず、最初に入ったスイスではヴィサカードでかけました。 グリンデルワルドの国際電話ボックスでは、カードの使用法が図解されていて容易にかけることができます。

 国識別番号と市外局番号の0をとって、あとは国内と同様にかけていきます。 これでかけると、電話交換手との面倒なやりとりもなく簡単です。 しかし、今回でも電話回線のトラブルが生じたのか、ヴィサカードでの通話が不能になりました。 仕方なく10スイス・フランのテレフォンカードに切り替えて通話をしました。 この場合、電話をしていると残金が明示されるのでとても便利でした。

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