2001年10月26日(金) 「続々・私が乗った車内いろいろ」 |
もうひとつ、私が利用したのは、ほとんど1等車です。
これは、ガイドブックに座席確保ができることと、安全であることが強調されていたのでユーレイパスの1等を選んだのです。 2等車がどんなに混んでいても、1等車はがら空きでとても楽でした。その分、治安上安心でした。そんな、コンパートメントでミール(食事)サービス受けたことがあります。 注文を聞かれましたが、メニューがよく分からないのでやめました。 前回までの旅ではなかったことですが、今回は食堂車に出向いていき食事したことが何度かありました。 |
2001年10月26日(金) 「続・私が乗った車内いろいろ」 |
最近では、このような通路と座席を隔離したようなコンパートメント廃止に傾いているようです。最近では、やはり通路は片側で、座席を広くとっているのはそのままです。
お客さんの座っている部分だけ、通路側だけ衝立のようにガラスで囲い、ドアーをつけず解放しているものもありました。
これだと、息苦しさがなくてよいと思います。でも、ある意味では、これまでのコンパートメントの方が自然と会話が進むことも事実です。 一番、進んでいるのではないかと思ったのは、ドイツのリンダウからブレゲンツ行きの列車でした。 どのように説明してよいか分かりませんが、運転室もシースルーでしたし、すべての設備がハイテクを駆使したような感じでした。 でも、ちょっとクール過ぎて親しみが持てませんでした。 |
2001年10月26日(金) 「私が乗った車内いろいろ」 |
ヨーロッパの鉄道では、コンパートメントが多くみられます。そう、スイスのチュリッヒ中央駅からインスブルック中央駅へ行ったときの列車もそうでした。 車内は通路が端にあり、座席はガラスドアーで仕切られています。そのドアーの入り口上部に各座席番号がつけてあり、予約席の状況が一目で分かるようにしてあります。 6人掛けの椅子(座席番号付)が対面しています。室内はエアコンの調節、手元ライト、テーブル、鏡、洋服フックはもちろん、座席はゆったりとしていてクッションもよく、 とても豪華です。 長距離運行が多いヨーロッパの列車は、座席にだれもいなくても予約カードが入れてあります。 できるなら避けた方がいいのですが、予約したお客さんが来るまで座っていても構わないのです。 私は、比較的近距離移動が多かったので、それを実行しました。とても、合理的だなと思いました。 |
2001年10月17日(水) 「ここにもあった100円(10シリング)ショップ 」 |
オーストリアのインスブルック旧市街地を歩いているときでした。“10シリング ショップ”を見つけました。ちょっと、驚きました。
中に入ってみると、おもちゃのような小物が中心で日本ほど品物が豊富ではありませんでした。 それから、フォア・アールベルク州ドルンビルンのショッピングセンター街にもありました。ここでも、小さいスペースで同じように小物が中心でした。 |
2001年10月15日(月) 「チケットとパスポートチェック」 |
“駅いろいろ”で駅構内のことをお知らせしました。「改札口がなくてどうするんだ?」の声が聞こえてきそうです。 列車に乗ると大抵一息ついた頃に車掌さんがやってきます。「チケットを見せて」と、いわれる前に、皆さんはチケットを用意して待っています。 そんな、人のそぶりで察しがつくので私もちゃんと出してチェックを受ける事ができます。一度チェックを受けるとその列車に乗っている間、二度と受けることはありません。 よくまあ、覚えているなあと感心をします。 しかし、同じ列車内でも長距離の場合や国境を越えると鉄道会社も変わるので、その都度チケットとパスポートのチェックを受けます。 その例として、スイスからオーストリアへ入る列車が国境(リヒテンシュタインとフェルトキルヒ)にさしかかった時、 チケットのチェックを受けて間もなくパスポートのチェックを受けました。 今までで一番感心したのは、マイェンフェルトからチューリッヒへ行った時に4時間くらい遊んでマイェンフェルトへ戻る列車に乗って検札があったので、 さっとチケットを差し出したら「ノー・プロブレム、ザッツ、オーケー」といわれたので車掌さんの顔を見あげてみると、同じ人でした。 こちらはひとり、あちらは何人も見ているのにその記憶力には驚きました。 |
2001年10月15日(月) 「駅いろいろ・パート2」 |
“頭頂駅”という、ことばを初めて聞いたのは、海外旅行を初めてからでした。
今まで、私が体験した頭頂駅は、どうやらその都市で主だった大きな駅のようです。でも、パリにはたくさんありましたけれど。 スイスのチューリッヒ中央駅、ミュンヘン中央駅リンダウ駅もそうでした。頭頂駅とは、その駅がちょうど頭のような位置にあり、その駅からは始発便が多く出ています。 これらの駅を通り抜けて行く線路がないわけです。したがって、番線もたくさんあります。 日本ではあまり見かけられない情景ですね。最初はとても変わった感じを受けていましたが、だんだん慣れて違和感もなくなりました。 |
2001年09月10日(月) 「移動大作戦・アヴィニョン〜グリンデルワルトへ」 |
アヴィニョンとグリンデルワルトは比較的近い距離にあるのですが、車でならいざ知らず鉄道では、乗換などがあって時間がかかります。
実際かかった時間は約9時間でした。 タイムテーブルはアヴィニョン駅で作ってもらいました。ここでも英語が通じないので一苦労しましたが、数字は共通なのでメモを渡し、ようやくできあがりました。 この表(下)を見れば分かるのですが乗換時間が非常に少ないのです。 フランス鉄道の時間のルーズさは定評があり(失礼)、私はリヨンからアルルまでも30分の遅延で実証済みなのです。 そんな心配があったので、駅でも列車に乗ってもそのことを確認したかったのですが、 こちらの言い分が通じなくて「ノー、プロブレム」や「グッド・タイム」の一語で片づけられました。 しかし、「案ずるより生むが易し」の格言通りスムーズに事は運びました。 何を心配したの?と、問われそうですが、どこかの駅でつまずくと、もうその日のうちには帰れません。実際は、腹をくくりどこかの街で泊まることも考えましたけれど。 タイム・テーブル AVIGNON(アヴィニョン) 発 08:19 フランス LYON PART-DIEU(リヨン・パ・デュ)着 10:36 LYON PART-DIEU(リヨン・パ・デュ)発 10:50 乗換時間14分 GENEVE (ジュネーヴ) 着 12:37 スイス GENEVE (ジュネーヴ) 発 13:30 乗換時間53分 駅構内レストランでランチ BERN (ベルン) 着 15:13 BERN (ベルン) 発 15:26 乗換時間13分 INTERLAKEN OST 着 16:20 INTERLAKEN OST 発 16:35 乗換時間15分 GRINDELWALD(グリンデルワルト) 着 17:05 |
2001年08月31日(金) 「10歩あるけばATM機に当たる」 |
一番心配したお金の調達 、前回と同じ苦労をすまいと、どれだけ心を砕いたことか。ところがその心配は一度に氷塊しました。 なにしろ、訪れた街を歩いていると、あそこにも!ここにも!と、いたるところにATM機が設置されていました。日本では考えられないほどのおびただしい数です。 街角を曲がると、10歩もあるけばもうそこにある。といった具合でした。 もちろん、その多くは観光地だということもあるのですが、私の住んでいるところと比べると格段の違いです。 住民の人数からしても、もう少し銀行は利用者サービスに力を入れてもらいたいなと思いました。 日本でいえば、ちょうど自動販売機くらいの配置くらいありました。ヨーロッパでは自動販売機は駅の一部でしか見かけませんでしたけれど。 |
2001年08月31日(金) 「念には念をいれよ」 |
この度、旅行中の資金対策に満を持して出かけました。念の入れようは前回に比べれば、問題にならないほどの力の入れよう振りで自分自身でも驚くほどでした。 持参するカード会社へ訪問する土地のATM機がどこにどれだけ設置してあるのかとか、そのカードが使用できる連携の会社はどこ?確実に使えるのかなどなどです。 さすが、外国銀行発行のカード裏面には「回線の不都合で使えないこともあります」と但し書きがしてありました。 対策のひとつに、カード会社の海外ATM機設置場所をインターネットで探し、コピーして持参しました。もうひとつは、CITY銀行の両替カードを持参しました。 このカードは、旅人推薦のもので旅行期間のみ通用。1回使用の度に200円の手数料を払うのですが、 今回訪れた国々でもいたるところに対応するATM機が設置されていて全く不自由を感じませんでした。さらに、追加入金もできます。 持参したのは、VISAカード、シティー銀行両替カード、トラベラーズ・チェック、現地通貨、少額の円などで、今回は非常にスムーズに資金調達ができて満足しました。 |
2001年08月31日(金) 「続・通貨いろいろ」 |
オーストリアに入って間もなく、手にした通貨をみて円換算してみようと懸命に試みたのですが全く理解できず、
な〜んだ年をとると、こうも頭が悪くなるものかと自分自身を嘆きました。 しかたなく、あきらめかけた頃ようやく理解できて換算できるようになりました。 無理矢理に考え込もうとしたのが、ダメだったのではないかと思うのですが如何なものでしょう。生活をしていると自然と分かってくるのだなと思ってみたりしました。 「旅の記録17」で2重表示のことに触れましたが、レシートには、まだまだたくさんの価格が書き込まれていました。 例えばフェルトキリッヒでのこと、シリング、ドイツマルク、スイス・フランそしてユーロ価格です。 なるほど、国境近いところではその必要があるのですね。だからその通貨もそのまま通用するということなのです。 私もスイス・チューリッヒ発オーストリア経由リンダウ(ドイツ)行きの列車に乗ったときです。列車販売でパンとジュースを注文しました。 乗ったところはオーストリアですから当然「シリングでいくらですか」と尋ねると通貨換算表を見ながら「これこれです」と答えてくれました。 なかなか、お釣りがでてきません。仕方なく「じゃあ スイス・フランで払います」といってカバンの底から取り出した財布から支払いました。 もちろん、お釣りはすぐもらえました。 |
2001年08月31日(金) 「通貨いろいろ」 |
昨日、8月30日付朝日新聞紙上に【厳戒ユーロ大輸送・各国警察や軍が出動・銀行・スーパーに配布 】の見出しがセンセーショナルに踊っていました。
その中でポルトガル、ギリシャ、オーストリアはユーロ価格を添える2重表示を今年から法制化とありました。
私もオーストリアでレシートをもらう都度、ユーロ価格が表示されているのでユーロへの移行近しとのの感を強くしました。 導入まであと4ヶ月。どうやら、着々と事は進められているようです。でも、こんな大変な事業なのかとの驚きも確かです。 この旅がもう少し後なら通貨換算の煩雑さを味あわなくてすんだのにとの思いもあります。 今回手にした通貨は円、スイス・フラン、フランス・フラン、シリング、イタリア・リラ、ドイツ・マルク、(リヒテンシュタインはスイス・フランを使用)でした。 |
2001年08月30日(木) 「続・超便利・ユーレイルパスとカードたち」 |
今回私は、インスブルックカード(Innsbruck-Karte)とエッタールカード(?ztal-karte)を購入しました。 インスブルックカードでは市内の名所やアンブラス城、スワロフスキークリスタルワールドの入場が無料に。 ノルトケッテ、パッチャーコーフェルのロープウエイも1往復乗れる。3日間通用で330シリング(約2640円)を購入しました。 エッタールカードは、その谷の博物館やバス、ロープウエイすべて、何度でも利用できるもので大いに活用しました。 こちらは7日間通用で560シリング(約4480円)でしたが元はとれたと思います。こうしたカード(カルテ)が各観光地で独自に発行されていました。 長期に滞在するときには大いにその役目を発揮できるものと思います。 このカードをバスの運転手やロープウエイの係員に見せると、なんだか「ダンケ・シェーン」(ありがとう)がひときわ高かったように感じました。 |
2001年08月30日(木) 「超便利・ユーレイルパスとカードたち」 |
ユーレイルパス(EURAILPASS)は、ひとり旅をする人たちには周知のことでしょう。
これには、いろいろ種類があって一国に限ったもの、5ヶ国通用のもの、ヨーロッパ17ヶ国通用や日にちを限ったもの、フルで乗車できるものなどなどです。
しかもユースパスなど若者用とか様々のパスが用意されています。 ヨーロッパの駅の窓口で切符を買おうとしたら結構時間がかかります。時間ぎりぎりではとても間に合いません。よほど小さな駅でない限り、長い列ができています。 ユーレイルパスでは、急行はもちろん特急だって乗れます。長距離列車には席を予約している場合もあるのですが、誰もいなければ、そこに座っていてもかまはないのです。 空いている席に次々と移動していく方法もあります。予約の必要な場合は(R)のマークがついていますので要注意ですが。(トーマス・クック時刻表) 私は、現地のことばが十分に話せないので特にそのありがたさが実感できました。 ときには、ユーレイパスが通用しない路線(私鉄)の場合もありますが、その場合でもパスを見せるか持っていることを伝えて示せば25%引きにしてくれるので、 必ず窓口で出して見ることをおすすめします。 スイスでロープウエイを利用したとき、スイスパスを利用していた日本人が私の料金をみて「あれ?ユーレパスは半額なんだ」と、やや、不満そうに話していました。 私もそういわれるまで気づきませんでした。それに気をよくして、どんどん利用しました。ロープウエイや登山鉄道の運賃はかなり高額ですから大いに助かりました。 |
2001年08月30日(木) 「補足・続々・タイム・テーブル、ファールプラン、時刻表」 |
続々・タイム・テーブル、ファールプラン、時刻表・・・旅の記録9 の訂正と補足をします。
到着便は(白文字)で出発便は(黄文字)としていましたが、発車時刻表が黄色い地色で、到着時刻表が白地です。
【全列車の発時刻・行き先・ホームを並べて記入してあります。1時間ごとに仕切ってある。黒字が普通列車、赤字が急行以上の列車を示す。】
【】内は「スイス・アルプス鉄道の旅・晶文社・池田光雅」より引用。 日本式の行き先別時刻表に慣れ親しんでいたので、時間毎の列記に、はじめは違和感を抱いていましたが、利用してみると案外合理的な表記であることに気づきました。 時刻を基点に探していけるので乗換の列車を探し出すのが早い訳です。 今回もオーストリアのフェルトキリッヒから乗った列車でブックスまで行き、そこで乗り換えてサルガンスそしてマイェンフェルトに行くつもりでいました。 そこで私はブックス駅で下りてすぐ、ホームの時刻表をのぞき込みました。 今の時刻に一番近いサルガンス行きは何時かなと時刻表を読むと、今下りた列車とホーム番号が同じ“えっ?”ということは、 サルガンスを経由してチューリッヒまで行く列車であることがすぐ分かりました。大急ぎで乗ったことはいうまでもありません。 |
2001年08月30日(木) 「続々・続・駅いろいろ」 |
今朝の朝日新聞で『バリアフリー化、ようやく音頭』の記事を見つけました。
【福田官房長官は29日、中略・バリアーフリー化の整備状況を見るため、JR東京駅を訪れた。】なんでも、
【今年5月にシュミット元西ドイツ首相が首相官邸を訪れた際に、日本の公共機関のバリアーフリー化への取り組みの遅れを指摘したことがきっかけ。】のようです。 これについては、実感です。8年前、スイスのインターラーケン・オスト駅のスロープのプラット・フォームを初めて通ったとき 「なんでこんなに時間をかけて歩かないといけないの?」と疑問に思いました。 それが、車椅子とか乳母車やコロ付きの重い荷物を移動させるものであることを理解するのにあまり時間はかかりませんでした。 そうしたスペースがとられない場合でも階段の端っこに斜面がつけてあって、自転車とか重い荷物の移動を助ける設備が整っています。 この度、車椅子で旅をしている仲間たちと同じ宿に泊まったことがありました。 はじめは男性を含め3人で車椅子を運んでいたので、あまり手助けが必要でなかったのだけれど、 途中女性ふたりになったところ、そんな設備があっても移動は大変だったようです。 そこで、駅に手助けを申し出たところ、次々と到着する駅に要請がしてあって本当に楽になりました。 ヨーロッパでは、2〜3人もいれば大丈夫と判断するようです。だから、こちらが頼まない限りサポートはしてもらえないのよ」と話していました。 これでも、日本ではどうでしょうか、サポートはしてもその駅だけで終わりではないでしょうか。確かに日本のバリアフリー化は遅れていると思います。 【】内は朝日新聞朝刊2001年8月30日発行を引用。 |
2001年08月30日(木) 「続々・駅いろいろ」 |
東京駅はアムステルダム駅をまねてつくったと聞いています。ヨーロッパの駅はそれこそ、個性があります。今まで同じような形の駅を見たことがありません。
そして、重厚な歴史を感じさせるものがたくさんあります。チューリッヒ中央駅もその一つで石組みのどっしりとした建物です。 そんな中、オーストリアのザンクト・アントン駅は全く新しく建造されて構内も近代的になっていました。 駅を外から見ると全く中が見えないようなスモーク・ガラスで遮断されて、再び戻って来たときには間違ったのかと思うほどでした。 こんな駅では、あまり味がないなあと思いました。 オーストリアではそのほかのフェルトキリッヒ駅も盛んに改築していましたからその内、近代的な駅に変わるのでしょう。 インスブルック駅は構内の一部を改築していました。建物が古いと設備の面でいろいろ使い勝手が悪くなるのでしょうか。 |
2001年08月29日(水) 「続・駅いろいろ」 |
ヨーロッパの駅では改札口がありません。ですから勝手に人々は駅構内を歩き回りますし、自転車だって通り抜けます。
一番おかしかったのはマイェンフェルトの駅で、2番ホームにいく通路を馬がぱかぱか歩いて通っていました。
それを見た私は思わず、ふふふと笑ってしまったくらいです。馬の通った行き先をみると、そこに牧場が広がっていました。
そうなのです、プラットフォームのすぐ隣が牧場でした。 先ほど自転車のことをいいましたが、自転車を列車にそのまま載せて旅をする人をたくさん見かけました。 若い夫婦で、中高年の夫婦で、親子で、祖父母と孫とでそんなグループがたくさん、たくさんいました。 列車に自転車を載せて移動すれば、それは、それは遠くまで旅ができます。 日本では自転車をそのまま載せてくれるサービスはないと思うのですが。うらやましい限りです。 まだ、まだあります。 駅構内は、どんな小さな駅でも車椅子が通れるようなスロープが通してあります。 大きい駅ではスロープはもちろん、リフト、階段と選択肢が多くあって、とても人間に優しくしてあります。 チューリッヒ中央駅はプラット・フォームが平地にあるのでその必要がないのですが、地下にトイレとかシャワー室、ロッカー、売店などがあるので、 そこはエスカレーターが上り下りに設置されています。 |
2001年08月28日(火) 「駅いろいろ」 |
駅構内をレストランにしているところも多く見かけました。
そんな例は日本でも北海道を旅しているとよく見かけますが、プラット・ホーム(1番ホーム)にまでテーブルと椅子を並べているところは少ないのではないでしょうか。 大きな駅・チューリッヒ中央駅などは格別で、そういうスペースも多く設けられていますし、 キオスクで売られているパンとかジュースなどの軽食を立ったまま食べるようなテーブルもあって私も結構利用しました。 ケースの中のものを指して買うことができるのは、ことばが十分話せない私など旅行者にとっても楽ですし、待ち時間を有効に使うことができるので便利です。 |
2001年08月28日(火) 「続々・タイム・テーブル、ファールプラン、時刻表」 |
ヨーロッパの駅には、到着便(白文字)と出発便(黄文字)の時刻表(i)がプラット・フォームや駅の要所要所には掲示されています。
大きな駅ではその掲示板はもちろんのこと、さらに頭上高くにパネル版でパタパタ音をたてながら時刻を追って出発時刻を知らせてくれるものもあります。 チュリッヒ中央駅にはプラット・ホームごとにもあります。いちいち、列車がでる時間を知らせない代わりなのでしょう。(知らせてくれる場合もあります) 小さな駅ではその出発・到着時刻・掲示板が少ないのでよほど注意をしてみておかないと自分が乗りたい列車のプラット・ホームが分かりません。 私も見そこねて、戻ってプラット・ホームを確認したことが何度かありました。 そんなことで、駅舎内やプラット・ホームで時刻表を熱心にのぞき込んでいる旅人を私もよく見かけました。 目的の駅で列車を降りたらすぐ、乗換時間やプラット・ホームを探さねばならないのですから、結構忙しく、ぼんやりもできませんでした。 |
2001年08月28日(火) 「ウエルカム・バゲージもあります」 |
『チューリッヒ、ジュネーブ、バーゼルの国際空港では到着後に使用済み航空券を空港の手荷物扱い所に提示して「ウエルカム・バゲージ」と依頼すると、
他の手荷物よりも優先的に目的地に送ってくれる。』『』内は「ひとり旅これで十分・ヨーロッパの旅・実業の日本社」から引用。 観光立国ならではのきめの細かい、行き届いたサービスだと今更ながら感心してしまいます。 それから「チッキ」というサービスもあります。ヨーロッパ各国共通で気軽に外国にも送れる。 これからは、こうしたシステムを大いに利用して身軽な旅を満喫したいものです。 |
2001年08月28日(火) 「続・便利で快適だったフライ・バゲージ」 |
フライ・バゲージは『スイスの国鉄・民鉄駅で申し込めます。
スイス国際空港を出発の航空機に乗る時に24時間前から受け付け。航空券を提示し、重さを計り、「フライ・バゲージ」と申し出ればはよい。
空港でのチェックは不要。まったく手を触れずに日本まで荷物を運んでくれる。』
『』内は「ひとり旅これで十分・ヨーロッパの旅・実業の日本社」から引用。 代表的な観光地駅で受け付けてくれると記されていたとおり、グリンデルワルト駅でもOKでした。 うわさにによると、スイス航空とルフトハンザ航空以外は除外されているとのことでしたが実際はシンガポール航空でも受け付けてくれました。 しかも、途中シンガポール空港に寄航するのですが、駅員からシンガポールに出るのかと問われ「NO」と答えると「広島空港で受け取れる」といってくれました。 費用は20スイス・フランで約1400円と格安です。 フライ・バゲージで反対に日本からスイスへ荷物を送るシステムもありますが、これはスイス航空とルフトハンザ航空便しか取り扱っていないそうです。 ホテル・ベラリーの中島さんがそう話していました。 |
2001年08月28日(火) 「便利で快適だったフライ・バゲージ」 |
最終宿泊地グリンデルワルト駅に出発の1日前、荷物を運び込み所定の手続きを終え、
身軽になった私は、重い荷物からの開放感から浮き浮きしてホテルへ戻りました。
でも、正直なところ確信が持てず、広島空港に着いて荷物が出てくるまでは半信半疑でした。
確かに荷物は届きました。 一抹の不安はあるものの、フライトの日には、25リットルのザック一つをかついで、身軽になれたことは大きな喜びでした。 こんな快適な旅もあるんだと。 |
2001年08月27日(月) 「旅ノート」 |
いつも旅をするとき持参するガイド・ブックやノート、辞書そして時刻表などを合わせるとかなりの重量になります。
この度も荷物をパックしてから心を残しておいてでたものも数々ありました。 その中で毎日開いては記録してきたノート「文庫手帳2001」はびっしり小さな文字で書き込まれています。 このノートは1年間の暦と年間、月間、デイリー・スケジュールが設けられ、住所録もあり、追加できるスペースもありで大変重宝しました。 しかも、手のひらにすっぽり入る大きさ(文庫本)なので使い勝手もよい優れものです。 それから、いつも大活躍の切り離せるメモノート(途中紛失)、メモステッカー(MEMOSTICKER75×75mm)です。 インフォーメイション(観光案内所)、駅、郵便局、お店、宿、道をたずねるときには、必ずこのメモノートに書いたものを見せては乗り切りました。 |
2001年08月26日(日) 「続・タイム・テーブル、ファールプラン、時刻表」 |
“旅の記録・3”でタイム・テーブルの便利さを書きましたが、4年前ヨーロッパを一回りしたときにも活躍しました。
「Thomas Cook EUROPEAN TIMETABLE」を読むことによって、都市から都市までにかかる時間を計り1日の行動をすべて決めていました。 乗換時間や時には、船に乗る時間などすべてをタイム・テーブルの上で計算して、 1日でそこへいくことが可能かどうかも考えたりして、かなりそのために時間も要しました。 しかし、決して苦痛ではありませんでした。それも旅の醍醐味の一つですから。 それが今回なぜだか重くて邪魔で仕方がありませんでした。新しい方法を知ったからか。 あるいは、都市間の大きな移動が少なくて小さな駅への移動が多かったせいでもあるのでしょう。 「Thomas Cook EUROPEAN TIMETABLE」には、小さな駅の時刻表が載っていなことが多々あるのです。 ちなみに「Thomas Cook EUROPEAN TIMETABLE」はB5版を一回り小さくした大きさで厚さ1.5センチ、重さ400グラムです。 |
2001年08月25日(土) 「タイム・テーブル、ファールプラン、時刻表」 |
タイム・テーブルは、旅をする人にとって必要で便利なもののひとつです。
タイム・テーブルは英語圏の表現のようでスイス、オーストリアではファール・プラン(ネ)と呼ばれていました。 この度持参したヨーロッパ鉄道時刻表・初夏号「Thomas Cook EUROPEAN TIMETABLE」ですが、 少しずつ時間がずれていたりで確信がもてないので駅、駅でタイム・テーブルを作ってもらいました。 これは、1枚の紙きれなので持ち運びにとても便利です。いつでもひょいと出して見たりもできて重宝しました。 今回旅したドイツ、スイス、オーストリの大きな駅では、その駅を基点にしたファール・プランが多く用意されていました。 もちろん無料です。それを利用する人もたくさんいるようでした。 大きな駅では旅行者のいろんな質問に答えてくれる職員がいて、そこがインフォーメーションの窓口になります。 私の場合は利用日時や行き先をメモして渡し、ビッテとかプリーズとかことばを添えます。 彼らは日時や行き先の確認を聞いてくるのでそれに答えて作成してもらいました。 コンピューターを駆使して、たちどころに私の要望に応じたタイム・テーブルができてきます。本当に便利になりました。 以前からこういうシステムはあったのでしょうが、今回初めて利用しました。 見本はインスブルック駅で作成してもらったイタリア・メランから オーストリア・エッタール駅までのファール・プランです。 |
2001年08月24日(金) 「極力避けた土、日の移動」 |
旅の日程表を少し説明致します。 ひととおりご覧頂けたら分かると思いますが、鉄道(私鉄・国鉄)をはじめバスなどの運行が土、日になるとずいぶんカットされます。 何度かの体験をふまえて今回も充分注意したつもりですが、つい土曜日に移動したこともあります。 それこそ、何時間も待たされる結果が生じるのです。 しかも、タイムテーブルを持参しているにもかかわらずドイツ語の注意書きが読めずにその苦労を何度か味わいました。 現地の人でさえ、その辺を理解していないので「このバスはこの時間にはくるよ」と、念押しをしたはずなのにはまってしまうこともありました。 |
2001年08月17日(金) 「チロルの谷から帰ってきました」 |
8月15日午前9時過ぎの到着便で帰国しました。
シンガポールでの待ち時間が17時間、信じられないほどの長時間で真夜中のフライトでした。 何度か同じ経験を積んだので、今回は空港ホテルに7時間泊まり、一気に睡眠をとりました。 おかげさまで時差ボケも知らず、元気いっぱいで旅の後始末(持参した物の洗濯仕分け)をやっています。 チロルでは美しい風景や人との出会いがたくさんありました。旅で出会った人たちから「旅の記録をHPに載せて 」という、うれしい依頼もきています。 メール仲間も増えました。 もう少し落ち着いたら、少しずつ旅の記録を載せていきたいと思います。 拙い文章ですが見て下さい。もし、よかったらご感想などお寄せ下さい。とても励みになります。 |