コラム・42
      
屋根の話
津軽に、こんな昔話があるそうです。
「昔々の、その昔、スズメとキツツキは姉妹であったそうな。姉妹のところへ親が危篤だと知らせがはいりました。
スズメはお歯黒をつけかけていたのに、化粧もそのままで、すぐ親のところへ飛んでいきましたので、親の死に目にあうことができました。キツツキは丹念に化粧を終えてからでかけましたので、親の死に目にあうことができませんでした。
だから、スズメは下嘴だけが黒くて上は白いままで、ほっぺたも汚いのですが、米を腹一杯たべることができます。キツツキはお化粧はキレイですが、朝早くから森の中を駆けめぐって、がっか・むっかと木の皮を叩いて一日にやっと三匹の虫しかたべることができません。そして夜になると木の洞穴のなかで、『おわえ、嘴がいたいでや』となくのだそうです」。こんな昔話があったということは、津軽の昔人は、キツツキに恨みがあったんですね。
     
春先に山荘を開けると、キツツキが屋根や軒木をつついて穴をあけ、屋根に積もった雪の雪解け水が小屋中を水浸しにしていた、ってことがよくあるようですね。
昔の雪国の屋根はコケラ葺でした。今でも道具入れの納屋、木小屋なんかには残っている処がありますね。
コケラ葺って、水をはじきやすいヒノキ、マキなどを長さ24センチメートル前後、幅6〜9センチメートル、厚さ数ミリメートルの短冊形の薄板に挽(ひ)き割り、屋根木舞(こまい)の上に竹釘(くぎ)を使って固定して葺き重ねていく屋根葺き方法なんです。
この薄板をコケラ板、西国ではヘギ板と言いますし、高級なのはコバ板(木羽板)ともいいますね。
一つの断面に重ねたコケラ板の枚数の多いものほど高級だそうで、その典型は京都の桂(かつら)離宮ですが、雪国の庶民の家屋では数枚かさねるだけで、釘で固定すると雨洩りを誘いますからただ積み重ねて葺くだけだったようですね。だから、風で飛ぶのを防ぐために丸太の枠を屋根に乗せ、その隙間には平石を乗せたり、平石のない海岸部ではカキ殻とかアワビの貝殻を押さえに使っていますね。
まあ、何はともあれ屋根が木の板ですから、キツツキに穴をあけられますと、ジャじゃ洩りになったでしょうね。
長い話になりましたが、コケラ葺の家屋に住んでいた津軽の人達にとっては、キツツキは憎きヤツ。で、こんな昔話ができたらしい。
     
屋根といえば瓦屋根なんですが、江戸時代には瓦屋根は奢侈禁止令で、苗字帯刀のように特別な許可がないとゆるされなかったそうで、藁屋根の軒先だけが瓦屋根になっている家屋がありましたね。軒先だけを瓦葺きにするのでも、お目こぼし代がいったんでしょうね。
嵯峨野の土産物屋の屋根には棟に2メートル巾だけ、申し訳程度に藁葺きが乗っかっているのがありますね。江戸末期には幕府の威令が、とくに京都ではなくなったらしいですね。
でも、歴史の不思議なんですが、藁屋根の軒先だけが瓦葺きになっているのは、総瓦とか総藁屋根より風情がありますね。
ええ、向井潤吉さんの「日本の抒情・民家」の世界ですね。